なんか色々すんませんでしたm(_ _)m
気が付いたら一か月以上も更新してなかった……orz
ごめんなさい。
ホントごめんなさい。
何も言い訳は言いません。
言わないけど、さっそく再開しますですよ。ええ。
して翌朝、我々は足早にベナレスを離れた。
今日はこれからアグラへと向かうのである。
例によって列車で。
A氏「そうね、最低でも10時間はかかるね。遅れなければ。距離にすると…う~ん…500kmくらいかなぁ」
日本国内でいうと、東京からはるばる、大阪をちょっと過ぎたくらいの距離である。
いくら特急とはいえここはインド。
新幹線並みのスピードなど期待できるはずもない。
むしろ、鈍行列車並みのチンタラ走行で
時に謎の停車を繰り返すのである。
そりゃ10時間もかかりますわなぁ。
駅に向かう途中の車の中から。
前を走る車、
日本でいったら幌付きの軽トラみたいな車の後ろに
なにやら人影が…。
聞くに通学用車両とか。
いろんな意味で大丈夫なんだろうか、と思ってしまう。
とりあえず駅のホームで気長に列車の到着を待つことにする。
冒頭にもあげたこの写真の車両はいわゆる3等車。
このゴミゴミ感あふれる中で列車に揺られたい衝動にかられる。
こちらの老人。
かなりクセのあるヒンディー語で単刀直入に金銭を要求してきた。
私「僕は貧乏旅行中だから、あなたに施せるだけの金品は持っていない」
というと、
老人「そうか、じゃあお前の財布をくれよ」
私「……」
正直この大胆な発言には呆れてしまった…。
なんだかんだで運よく列車は定刻に到着した。
出発前、車内より。
日本でいうところのキオスク。
平積みにされた雑誌なんかも売っている。
ここら辺はやっぱり万国共通なんだろうね。
車内にて。
列車の切符はこんな感じ。
それからしばらく列車に揺られる。
正直なんもやることがない。
暇。
ただただ窓辺の風景を眺めるばかり。
実に長閑だ…。
この黄色い花は、取り入れ後には油になるらしい。
ガイドのA氏いわく、
「お金持ちの農家さんほど、あの花をいっぱい植えている」
とのこと。
昨晩泊まったホテルで作ってもらったお弁当を食す。
かなり大きな箱に入っていたので期待していたが…
中身はこんな感じ。
もうね、某グルー○ンなんて比になりませんよwww
でもお腹がすいていたので文句も言わず食す。
ちなみに、列車内でもちゃんと駅弁は売っている。
この奥が調理場。
と、そうしているうちに車掌さんが私のもとにやってきた。
そして、インドで私をずっと悩まし続けてくれた
とてつもなく訛りの強い英語(いわゆる“ヒングリッシュ”というやつ)で
車掌「君はどこから来た?」
私「あっち」
車掌「君の祖国を聞いているんだ。日本人か?」
私「そうですよ」
車掌「そして君の名前は甚之助か?」
私「ええ、この通り(切符を見せる)」
車掌「うん…そうか」
私「なにか問題でも?」
車掌「いや、問題ない。もう一度聞くが、日本人だな?」
私「(日本語で)てやんでぇ、あたぼーよ!」
車掌「オーライオーライ。もういい、分かった。甚之助だな? 名前は。甚之助ね、甚之助」
私「ええ」
車掌「甚之助…甚之助…」
と、なぜかこの車掌は私の名前をえらく気に入ったらしく、
この後も、私の席の近くを通るたびに
「甚之助、甚之助」
とつぶやくのである。
ちなみに、ヒンドゥー語はじめとしたインド国内で使われる言語において、
“jinnosuke”という音がどういう意味を持つかは分からない。
でも、現地の方にとってはかなり奇特な音なんだろうなぁ。
して、その車掌さん。
途中停車した駅のホームにて。チャーイ飲んでたw
チャーイといえば、
私たちもこの列車の中ではかなりチャーイを飲んだ。
インドに滞在している間、日に3度も4度も飲んでいたけど、
この日は夫婦二人で計16杯。
正直飲み過ぎである。
時折
「パ~ニボトラカマンゴジュ~♪」
という独特の節をつけて売り歩く人が来る。
いや、本当にこういう風に聞こえるのだ。
その節回しがまたとても独特だったので、
なぜそれを録音しなかったのか、とてもとても悔やまれるのだが、
この「パ~ニボトラカマンゴジュ~♪」というのは
大体「ペットボトルの水にマンゴジュース、ありまっせぇ~♪」
ぐらい意味である。
そんな売り子さんが時折来る。
そんな中、時々、
「チャーイ…。チャーイカッフィ…。カッフィチャーイ。チャイチャイ。…カッフィ」
と、ブツブツ念仏を唱える如くつぶやきながら歩くおっちゃんがいた。
お察しの通り、チャーイorコーヒー売りの人である。
ちなみにコーヒーはネス○フェである。
我々はこのおっちゃんが来る度にチャーイを頼んでいた。
そんで10時間も列車に揺られる間に二人で16杯も飲むことになってしまったのだが…。
途中、売り子のおっちゃんが
「お前たちはどこまで行くんだ?」
と聞いてきた。
私「アグラまで」というに
おっちゃん「そうか、まだ先は長いな」
などとのたまうではないか。
そんな会話をしたためか、
アグラ到着を目前にした頃、
おっちゃん「俺とお前の仲だ、最後に一杯どうだ?」
私「ありがとう。うれしくいただくよ」
きっちり5ルピー取られましたとさ。
てんで、アグラ駅到着!!!
しっかし、ホームに降り立った瞬間、ある出来事が…。
なんということはない、停電なんすけどね。
ええ、駅全体。というか、駅だけ停電。
インドじゃ停電はフツーなんだとかなんとか。
あまりに唐突過ぎて写真に収められなかったのが非常に残念だったけれど。…
とりあえず駅前をば。
して、翌朝。
さて、アグラという街には何があるかご存じだろうか?
知ってる? 知らない?
それとも知りたくない?
まあ、それはいいとして、
この旅行記を読んでいる人も読んでいない人も、
多分知っている、
あるいは写真で見たことがある、
そんな建物がある街なのだ。
じゃあ、その建物ってなんねん?
と、こう問われるだろうから素直に答えておくと、
これです。
タージ・マハル。
聞こえましたか? シタールの響きが。
正直、率直な感想は
「本当にこの世にあったんだwww」
これに尽きる。
なんといってもあまりにも有名すぎて、
実際遠目で見る分には本やテレビで見るのとさして変わらなかったけれど、
間近まで行って手を触れるやいなや、
そう感じずにはいられなかった。
このタージ・マハル、
アグラの駅からほど近いところにあるのだけれど、
入り口の門から直行カートみたいなものが出ていた。
ただ、やっぱり有名な観光地だけあって物売りが多かった。
カートが出発するまでの間、
しつこく私たちにモノを売ろうと近づいてくる少年がいた。
少年「ヘイ、ジャパニーズ! このペン良いだろう? 買ってよ」
私「ペンなら持ってるからいいよ」
少年「いいじゃん、買ってよ買ってよ買ってよ!」
私「いくらさ?」
少年「5本で20ルピー」
私「高いよ」
少年「安いよ! ねぇ、買ってったら!」
と、こんなやりとりがややしばらく続いたのだが、
少年「ねぇったら、ねぇ!」
さすがに私も痺れを切らした。
私「バス! バスバス!」
この「バス」という言葉、
ヒンディー語ではおよそ『はいそこまで』とか『もう結構』とか、
強い語調だと『いい加減にしろよ!』
ぐらいの意味になる。
ちょっとかわいそうかなと思いつつも、
やっぱりあのしつこさには耐えかねてしまった。
少ししょんぼりとする少年。
少年「じゃあ、代わりにアンタの胸ポケットにあるボールペン、くれよ」
私はインド旅行中、常に胸ポケットにボールペンを二つ指していた。
というのも、日本で知り合ったインドの方に、
「現地では日本製のボールペンを持っていると重宝するよ」
と聞いていたこともある。
実際、コミュニケーションツールとしてはかなり使えた。
私「OK、いいよ、あげるよ」
少年「ありがとう!」
私「ごめんね、買ってあげられなくて」
少年「…ボールペンくれたから、安くするよ?」
凄まじい商売根性である。
私「…いくら?」
少年「50ルピー」
高こうなっとるやんけ!!
まあ、そんなすったもんだがあったもんで、
良い思い出にもなりました。
して、問題のタージ・マハル。
我々が出かけて行ったのは開園直後くらいの時間帯であったにもかかわらず、
かなりの人出だった。
ここに来る直前、
ガイドのA氏の案内で近くのサリー屋に寄ったのだが、
そこの店主に
「インドではその日最初に来たお客様に買い物をしてもらうと幸運なんですよ」
というような話しをされた。
日本の商人の中でもそんなゲン担ぎを聞いたことがあったけれど、
やっぱりインドに来たのだし、
インドの特産の一つくらいと思って、
嫁にサリーを買ってあげることに。
店主「20%オフでいいや」
私「ありがとう。やっぱり、母ちゃんキレイで元気が一番だね」
店主「ん? どういう意味?」
A氏を介して注釈を伝えると、
店主「グレイト! インドでもそうだね!」
ということで半額にしてもらえました。
『母ちゃん(嫁)一番』、世界の共通認識である。
非リア充ザマァwwwww
さてさて、タージ・マハル内の写真をいくつか。
かなり綿密に手入れがされている。
こんな写真を撮る人もいるってんで嫁が撮ってもらいました。
こんな感じで。
さてここで私の長年の疑問の一つ。
タージ・マハルの正面の写真はあまりにも有名だけれども、
その反対側はどーなってるの?
ずばり、
こんな風景です。
これはこれでなかなか見ごたえがあった。
こちらの二人、
オランダからの旅行者とのことだったが、
嫁のサリー姿を見て
「ステキね! これ、どこで買ったの?」
と聞いてきた。
この夫婦だけではない、
現地の方も含め、
かなりの人に道すがら声をかけられた。
嫁「主人が買ってくれたんです」
ご婦人「まあ、それはいいわね!」
私、鼻たっか高ッ。
非リア充ザマァwwwww
さて、タージ・マハルのwikiでも詳細は記されているが、
ここを建てた王様は、はっきりいって奥さんが大好き過ぎてこんなものを建ててしまっているのだが、
実際建物の配置を見ても、
王様入場の門
↓
休憩室
↓
タージ・マハル
↓
宗教上の礼拝堂
とこんな感じになっている。
つまり、奥さんの方が神様より先決、ということなのだ。
さっき、自分が吐いた言葉を改めて実感する。
まあ、そんなこんなのタージ・マハルでした。
この後、しばらくバスに揺られてファテプル・シークリーに。
ここはアグラ市街からかなり離れた場所にあるのだが、
それでもかつての都である。
たった14年間ではあるけれど。
ここの宮殿の主はイスラム教・ヒンドゥー教など、
宗教を問わずにお妃を娶ったとのこと。
だから、お妃ごとに一つ一つ建物を建て、
その生活様式にあった内装を用意したとか。
こちら、我々が座るあたりには正方形のマスが地面に書かれていた。
なんでも、人間チェス専用の場所だとか。
なんだこの叶姉妹的なノリはwww
こちらは会議室。
真ん中に王様が座っていたとのこと。
こんな光景、FFでしかみたことがないような…。
そういえば、
園内にこんな集団が。
A氏曰く「日本でいうところの老人クラブの旅行ねぇ」
とのこと。
ばあちゃん達、みんなカラフルだった。
一方で、
園外の駐車場ではなにやら物々しい雰囲気の集団が。
A氏「インドの南の方から来た人たちみたいね。なんか喧嘩してるっぽいね」
ガイドのA氏をしても南インドで主要なタミル語はなかなか難しいらしく、
何が原因で喧嘩をしているのか分からないらしい。
ちなみにインドの路上で見かけた喧嘩や言い争い、
そんなゴタゴタの中で、
たとえば相手の胸ぐらを掴んだり、
ガンを飛ばして相手を威嚇したりというような光景は
一切見なかった。
むしろ物々しい険悪な空気があったとしても、
とにかく議論をしている、
そんな風に見えるのである。
A氏「そうね、インドで殴り合いの喧嘩ってなると、ただじゃ済まないからね」
そういえば、仏教的なものの見方にしても、
あるいはガンディーが説いた「アヒンサー(不殺生・非暴力)」にしてもそうだが、
インドという国においては、生命を慈しむという考え方がある。
それゆえに、相手を外傷として傷つけたりすることは、
それこそ宗教的な生活を送っている人々の間では、
暗黙の裡にご法度であることは想像に難くない。
また、この国の歴史、あるいは宗教史を顧みるにも、
「手を出したら、殺し合いになるかもしれない」
という、そうした考え、そうした了解があるのかもしれない。
そう考えるだに、『歴史的経験』というものの重さを感じずにはいられなかった。
なんだかよくうまくまとめきれていないけれど…。
そんなこんで、次回! 『飛んでジャイプール!!』ざますよ。