さてさて、前回の≪谷根千を歩く。≫では「マニアックな情報も…」とか言いながら、結局フツーの谷根千情報みたいになってしまいましたが、今回は【おまけ編】ということで、谷根千周辺を巡ってみたいと思います。
しかしながら、谷根千周辺といっても少々広うございます。
前回の記事では再々「山手線の中!」ということを強調していたので、山手線圏内という縛りの元で巡ってみようと思います……が、そうなると、東には上野あるいは東京大学といったかなり大きなシンボルがあるので、今回は西側を重点的に巡ってみようかと思います。
で、早速……
▼目次
【本駒込から日暮里へ】
前回は終着地点である日暮里駅周辺へ千駄木界隈から降りてきましたが、その折、動坂のことにも触れたのでその辺りから出発します。
動坂の最寄となる駅は東京メトロ南北線の本駒込駅。
もちろん、山手線の田端駅や東京メトロ千代田線の千駄木駅からも行けます。
でもなんで本駒込駅からかというと、駅の出口が本郷通りに面する高台にあるので、動坂を下っていけるという利便性があるからです。
で、この本駒込駅周辺での見どころはと言いますと、まず、本郷通りを駒込方面へ数分歩いたところにあるこちら
目赤不動尊。
ん? 目赤?
なにか気になりませんか?
山手線にはそれぞれ目黒・目白とありますが、山手線内には目赤を冠する寺院がある。
実はというと、この目赤不動尊も目黒・目白のそれと同じ系列の不動尊です。
現在の駅位置とは若干離れていたりしますが、目黒・目白にもそれぞれ目黒不動尊・目白不動尊なるものがあります。
…ではなぜか?
やはり江戸の昔に遡ります。
前記事の谷中のところでもちょっと書きましたが、江戸の街を形成する際に重要だったのがその中心である江戸城をいかに守るかということ。
鬼門にあたる方角に寺院を配置したというのものそれですが、この目○不動尊というのもその一つで、他に目青不動尊・目黄不動尊とあり、合わせて『五色不動』と言われています。
江戸開府の当時はこの五色不動が、江戸城を中心にキレイな星形を描いていたとのことです。
現在は、
目黒不動……瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)
目白不動……金乗院(東京都豊島区高田)
目赤不動……南谷寺(東京都文京区本駒込)
目青不動……教学院(東京都世田谷区太子堂)
目黄不動……永久寺(東京都台東区三ノ輪)及び最勝寺(東京都江戸川区平井)
となっております(目黄不動に関しては諸説あり)。
ちなみに件の動坂の名前は坂の上にこの目赤不動尊があることに由来し、『目赤不動坂』→『不動坂』→『動坂』となったと言われています。
で、この目赤不動尊の斜向かいくらいにあるのが
諏訪山吉祥寺。
もともとは中央・総武線水道橋駅近くにある都立工芸高等学校あたりにあったようだが、明暦の大火(振袖火事)などによって現在地に移転。
その際、寺町だけは現在の武蔵野市の方に移され、現在、JR中央線および京王井の頭線の吉祥寺駅としてその名を遺しています。
そしてこれは明確な確証を今でも得られていない話だが、ここ本駒込に住まわれていた古老たち(既にみな他界されている)からは、この吉祥寺の山門について、以前はかなり古い時代の浅草・浅草寺の山門を移築したものだったという話しを聞いたことがある。明暦の大火が明暦3年(1657年)だから、それ以前のものだと思う。なんでも、寺院を現在の本駒込に、寺町を現在の武蔵野市の方に移すということになった際に寺院側から文句が出て、それを宥めるために「じゃあ浅草寺の山門やる」ってくれたとかいう、なんとも作り話のような話しなのだ。実際どうであったのかは、そのうち調査してみたいとか思いながら早10年以上経っている…orz
ちなみにだが、ここの近くには故・吉本隆明さんのご自宅もある。
私も散歩がてらこの界隈を歩いていたらよく出くわした。
相当前だが、国会図書館で吉本隆明氏の著書を複写した際、学芸員さんから「許可を云々」と言われ、その許可をいただきに上がって以来の面識があったので、ちょくちょく立ち話をさせてもらった。あの時、まだ20代の若造にとってはかなり刺激的な経験だった。
場所を本駒込駅周辺に戻して、ここらへんで最後に紹介したいのが、本駒込駅を出てすぐの区立駒本小学校隣にある
金峰山高林寺。
なんだかお寺ばかりの紹介になってしまいますが、こちらのお寺はもともと、現在の中央・総武線水道橋駅と御茶ノ水駅の間あたりに在所していた。
江戸時代初期、2代将軍徳川秀忠が鷹狩りの帰りに立ち寄って、境内の湧水でお茶入れて飲んだことに由来し、その辺りが『御茶ノ水』と呼ばれるようになったという伝承がある。
現在、元の境内跡は公園となっており、この逸話を紹介する掲示もされている。
ちなみになんでそこまで詳しく知っているかというと、こちらの高林寺の大住職は、私が20歳そこそこの頃からのお茶飲み友達だったりする。もちろん先方は大分歳上だが、気さくにたくさん興味深い話しを伺っている。かなり面白い人だ。
更にちなみに、こちらの高林寺には緒方洪庵や竹久夢二“最愛の女”といわれた彦乃さんのお墓などがある。
【日暮里から西日暮里】
さてさて、場所を日暮里駅周辺に移します。
日暮里―西日暮里駅間は山手線の中でも一番駅同士の距離が近いことでも有名ですが、その距離およそ500m。
その間にも、谷中伝いに住宅街が拡がっています。
とはいえ見どころがないわけではなく、こんな坂があったりします。
富士見坂。
上からだとこんな感じ。
登りきったところに坂に関する掲示がされていますが、若干修正したあとが…。
以前、私が谷根千界隈に住していた時はこの坂からもはっきりと富士山を見ることができたのですが、近年の開発によって、現在はこの坂からも富士山を拝むことができなくなってしまっている模様。残念。
こちらの坂は西日暮里駅横の公園を抜けたすぐそばにあります。
左端に見えるのが西日暮里駅。写真右側の茂みが公園。
で、西日暮里駅を田端方面へ。
このあたりの“日暮里”という地名には元来、新堀(にいほり)という字があてられていた。しかし、江戸中期に「一日中過ごしても飽きない里」という意味を含めて「日暮里(日暮らしの里)」と呼ばれるようになり、後、正式な地名となった経緯がある。
名門開成学園裏手の道。
ちゃんと『ひぐらしの道』という名を冠した道がある。
でも、個人的に“日暮”と聞いていつも思い出すのはこの人。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』144巻より
ここら辺りを歩いていると、どうしてもこの顔が浮かんできてしまうw
cf,日暮熟睡男 ‐ Wikipedia
さて、西日暮里駅から田端駅に至る山手線沿いの道は、撮り鉄には有名な道である。
こんな感じで北へ向かう線路がいくつも走っている。
【田端へ】
で、田端といえばやっぱり
近代日本文学を代表する文豪たちが多く住んでいたということで冠される文士村でしょう。
その中でも今回は、私自身私淑している芥川龍之介にスポットを当てたいと思います。
田端駅南口。
こちらを出るとすぐに階段に出くわす。
学生時代の芥川はこの坂道について
「ただ厄介なのは田端の停車場へゆくのに可成急な坂があることだ…(中略)…雨のふるときは足駄で下りるのは大分難渋だ」
(大正3<1914>年11月30日 井川恭 宛て 芥川龍之介全集第17巻 岩波書店刊)
と手紙に残している。
確かに急な坂だ。
そしてお察しの通り、旧芥川龍之介邸は田端駅南口近くにある。
記事サムネイルでも表示した写真だが、このように現在はその紹介をする掲示がある。
その跡地全体は
こんな感じになっている。
ここで個人的に注目してもらいたいのは、写真手前にあった路肩の縁石。
ここの部分。
龍之介の死後、芥川家は戦災で焼け出され都内某所に引越しを余儀なくされたのだが、その後この田端の旧芥川邸跡は三軒に分譲され、そのうちを門から玄関先付近を買い取った方の計らいで、当時の門戸の跡がそのまま縁石として残されているという。ただ、これは何かで読んだのか、どこかで聞いた話なのか、ちょっと記憶が定まらないので典拠を上げられないのが残念。確か後年、妻・文さん、長男・比呂志さん、三男・也寸志さんで田端界隈の思い出を巡る雑誌記事かなにかで読んだ気がするのだが…。
ちなみに芥川邸の門はこれである。
(新潮日本文学アルバム 芥川龍之介 新潮社刊より)
龍之介最晩年に親友・久米正雄氏が宣伝映画として撮影した映像から。
他にも芥川家の名残りを見ることができる。
先の跡地全体の写真の左手奥の方を道沿いに歩くと
こうした木に出会う。
この木は、芥川家の生け垣として植えられていたものだ。
その当時は大人の腰くらいの高さしかなかったようだが、今ではこんなに大きくなっている。もう、90年も昔の話しなのだから当然だろう。
ただ、この木々は以前にはまだかなりの本数が残っていたが、老木化と、心ないファンがその樹皮を記念にはぎ取って持ち帰るなどして枯れてしまったため、かなりの本数が切られてしまっている。残念な話しだ。
また一部古い塀が残っているが、この塀も戦災を受けた頃からあるものらしい。
ここでちょっと旧芥川家の周辺に関して、
まず、田端駅北口方面に出るとこちら
ダン和田さんの写真館がある。
以前は通りに面した所にあったが、新しくなっていた。
さまぁ~ずさんとの絡みは有名ですね。
cf,【ロケルートまとめ】モヤモヤさまぁ~ず2 田端周辺
また、旧芥川邸のあったところを田端台地といいますが、その西側には駒込台地が広がっています。
その間を縫うように田端駅から動坂方面へのびる道。
ここはもともと切通しとして機能していたらしい。
cf,切通し
なんとなくではあるがその雰囲気はある。
【駒込へ】
で、おまけ編の最後には訪れたのはここ
第二中里踏切。
「…え? 踏切?」と思われた方も少なくないかと思いますが、こちらの踏切は、現在山手線唯一の踏切となっています。
この踏切の目印は
この大きなゴルフボール。山手線に乗っていてもその姿が分かりますね?
ちょっと分かりづらいけれど、写真中央が駒込駅。
普段ならまるっきり聞きなれた遮断機の音も、この踏切に関してはなんだかとても有難味があるような気になってきます。
(約1分30秒)
≪谷根千を歩く。【おまけ編】で紹介したところ≫
ということで、本編&おまけ込みこみで、今回の【谷根千を歩く。】無事完走~となります。
本当なら地元民抱腹絶倒「それな!」的なネタとかもあったのですが、さすがにそこまで出すと大半の読者を置いてきぼりにしてまう可能性があるので、このくらいにしておこうと思います。
なにはともあれ、私にとっては地元の北海道以上に愛着があり、第2の故郷のような場所・谷根千。たくさんの思い出が詰まった場所でもあります。
昨今のブームとは別の意味でも、もっと人々から愛される土地になってもらえればという願いを込めて駄文にまとめてみました。
以上、【谷根千を歩く。】でした!