【ネト見的インド旅行記】ザ・インド・ベナレスへ!! Part2 | ネットサーフィン見聞記
 2018年07月の本 ←書評のような記事にとびます。

 

【ネト見的インド旅行記】ザ・インド・ベナレスへ!! Part2

さて、いつぶりかと思えば、
もう一か月も更新していませんでしたね。
で、なんでこんなに長く更新しなかったかというと、
実際私自身多忙を極めていたことと、
何より、去る3月11日発生した東日本大震災を目の当たりにして
どうしても更新する気が起きなかったことがあります。
ここに、あらためて今回の大震災の犠牲者の皆様のご冥福と
被災された方々にお見舞いを申し上げつつ
【ネト見的インド旅行記】を再開します。


【ネト見的インド旅行記】ザ・インド・ベナレスへ!! Part2


前回書いたのはベナレスに着いた直後からだったので、
これからがベナレス本編という感じだろうか?
まあ、まず手始めに「とりあえず観光~」と相成りました。
実は今回、私はどうしてもベナレスに来たかった。
正確に言えば、サールナートという地に赴きたかったのである。
サールナートという地名を聞いたことがあるだろうか?
漢字だと鹿野苑などと記載もされますが、
なにを隠そう、俗にいう仏教四大聖地の一つなのである。
ちなみに他の三つはルンビニー・ブッタガヤー・クシナーガラです。
ルンビニーのみ現在はネパールですが…。
して、なんでサールナートに来たかったかですが、
話しをすれば、今をさかのぼること10数年前、
私の曽祖父が亡くなった時の事…
葬式も終り、一段落したところで
私は祖父に連れられ菩提寺に向かったのですが、
そこで当時のご住職に渡されたのがこれ

葉っぱです。
ええ、葉っぱなんですけど、
ただの葉っぱじゃない。
サールナートについてググっていただければ容易にお分かりいただけるように、
この地はお釈迦さんが初めてお説法をされたところ。
その地に立つという菩提樹の葉っぱがこれだというのである。
突然我が家の話しになって申し訳ないけれど、
私の生まれ育った家は今からさかのぼること数百年前、
戦国時代黎明の頃、
「侍なんぞやってられるか~!!」と
喚き散らした先祖が帰農して以来、
代々農家を営んでいる。
そんなおかげかどうか分からないけれど、
代々先祖を大切に扱っており(?)、
したがってかなり仏教信仰の強い家でして、
私も例に漏れず、祖母からスパルタ教育さながらに
仏教のお勉強なぞ、幼少の頃よりされていたわけでして、
おかげでこんなよく分からない大人になってしまったのですが、
それはさておき、
そんな家の者にしても、正直
「この葉っぱ、本物かいな?」
と思われて仕方ないのだった。
ご住職曰く、友人が先だってサールナートを訪れた際に拾ってきたというのだけれど、
なんだか妙なお土産物屋にでも売りつけられたのではなかろうかと、
そう思われて仕方なかったのである。
で、今回の我々のインド旅行。
こうなりゃあの葉っぱが本物かどうかは別にしても、
実際自分で拾ってきたらええやんと、
そう考えたわけである。
そこでガイドのA氏に相談。
私「まず、サールナートに行きたいんだけど…」
A氏「OK、OK。こっから10kmくらいだからすぐだよ」
即決である。

てんで、サールナート到着w
色々すっ飛ばしてます。ごめんなさい。
で、ここが噂のお釈迦さんが初めて説法した(初転法輪)場所にたつ公園。
そしてその公園内に入ってすぐに一際大きな石台が…。

こここそダルマラージカストゥーパ基壇跡といい、
初めて説法をした場所とのこと。
はっきりいって、これがあるだけなのだ。
他には何もない。ただ頭上に青空が広がるばかりなのだけれど、
なんともいえないエネルギーがあることだけは肌にヒシヒシと感じた。
実際、「ああ、ここで…」という思い込みも手伝っているのだろうけれど、
でも、なにか圧倒されるような、とてつもなく大きなものに抱かれているような、
そんな気を感じた。
私自身、はっきりいって宗教的な霊性やら霊感なんてものはない。
オカルト的なものやら神秘思想なんてのも、興味本位で好きではあるけれど、
それを感じ取れるような敏感な神経あるいは精神性は、
残念ながら持ち合わせていない。
それでも、あんな風に感じてしまうのはなぜなのだろうか。
未だ持っても不思議な体験だった。
そしてもう一つ、

ダメ―ク・ストゥーパ。
ダメークとは『 法を観ずる所 』 、
ストゥーパは『 土を盛り上げたような造作物 』 ぐらいの意味で、
初転法輪を記念して建立されたとのこと。
ちなみに『ストゥーパ』は『卒塔婆』の語源ですね。
豆知識までに。
この中には仏舎利(お釈迦さんの遺骨の一部)があるとかないとかで、
これ自体はすでに信仰の対象となっていました。
多分チベットやタイのお坊さんだと思いますが、
熱心に経本を読誦しながらこの周囲をぐるぐると歩いていたのですが、
失礼かと思い写真は撮りませんでした。
ちなみにですが、私もぶつぶつと暗唱できる経典の一節を口にしながら回ってみましたが、
嫁に写真を撮ってもらえず…orz

それにしても広い…。
そしていたるところにある遺構の数々。


こちらはアショーカ碑文の塔の足部分。
頭頂部は近くの博物館にて保管されていました。

陰では瞑想中のお坊さんの姿が…。
遠くから眺めていたのですが、
それでも何とも尊い姿に少し感動しました。

で、この公園のすぐ隣というかほぼ敷地内にあるこちらのお寺。
実はスリランカの仏教団体のお寺なのですが、
ここの内部に描かれている壁画は日本画家・野生司香雪の手によるもの。


お釈迦さんの生涯が精緻に描かれていました。
う~ん、まさかここで野生司香雪の絵に出会えるとは…。
ちなみにですが、すぐ近くに日本の寺院もありました。
時間がなくて寄れなかってけれど。
まあ、そんなこんなでブラブラと歩いていると、
ふと何重かの柵に囲まれた木を発見。
A氏「甚之助、ここが君の言っていた木のあるところだよ」

なんと!
私「ここが…?」
A氏「近くまで行ってみるかい?」
私「いいの?」
A氏「うん。なんなら葉っぱも拾ってっていいよ。熱心な信者さんたちはよく拾ってるからね」
ということでいそいそと行ってみると、
ここか!

そしてなんだこの像はwww
ちょっと…ちょっとなんか若干コワイwww

周囲には似たような感じのお弟子さんたちの像。
そしてさまざまな言葉で書かれた『轉法輪経』というお経の数々。

こちらはサンスクリット(梵)語のもの。

こっちは漢訳ですね。
しかしついに来てしまったなぁと感慨にふけりつつも、

こんな感じで葉っぱを拾いました。
ちなみにこの時、土も一緒に拾って、
今では

こんな感じで部屋に飾ってあります。

いやはや、それにしても、
ここから仏教の歴史が始まったのかと思うとなんとも言えない気分になった。
仏教の事を多少かじったことのある人なら
誰でもその経典が多いことに気付くだろうけれど、
それら諸々の最初が、ここから始まったのかと思うと
あらためて歴史の長さ、大きさ、そして偉大さを感じずにはいられなかった。
もしかすると、本当はちょっと位置がずれているのかもしれない、
実は別の場所だったのかもしれない、
そんな疑いもないわけでもない。
でも、そんなことはこの地にたった瞬間に
『実につまらないこと』
そう認識してしまった。
それはそうとして、
A氏「近くにお土産物屋があるけど行ってみるか?」
というのでいそいそついて行ってみると
公園のまん前に店舗が。
一応それなりにしっかりとしたお店で
撮影させてもらえなかったので、
店内の様子をちょっくら書きますと、
ガラスケースに木製のお数珠やら仏像やらがズラズラ~っと並べられていて、
その一つ一つに丁寧に日本語で商品名と値段とちょっとした説明が書かれていた。
ん? 日本語?
もしやここは…日本人向けのお土産物屋…?
などと勝手に考えていると店長風の男性(もちろんインドの方)が近づいてきて、
「お客さんどっから来たの~?」
などと流暢な日本語で聞いてくるではないか!
私「日本ですよ」
店長「そんなん分かってるよw 日本のどこ?」
私「生まれは北海道っすよ」
店長「マジで!? どこどこ?」
私「×××ってとこなんすけど…分からないですよね?」
店長「いや、そうでもないよ。だって×××って○○○市の近くだろ? △△△が特産のw」
私「! そうですそうです。なんで知ってんすかwww」
店長「だって、ここの店出す前は札幌で店出してたもんw」
私「!?」
実はここの店長さん、奥様が日本人で
日印合作の(……)お子さんが3人いるそうな。
どおりで日本語がうまいわけだ。
そしてその弟さんという方もまた大変に流暢な日本語を話す。
店長弟「マンダラ、興味あるか?」
サールナートの土を拾い集めた際、
彼が私を案内してくれたのだが、その帰り道そんなこと聞いてきた。
私「マンダラより、サンスクリットの経典は何か扱ってないの?」
そう聞いたところ、彼は(私にとっては)とても印象深い、
そしてかなり衝撃的な言葉を放った。
店長弟「経典ね…。それも良いかもしてないけれど、でも、言葉や文字に意味はない」
物書きの端くれとしてつつましやかに生きているつもりである私にとって、
日々悩み、日々格闘している一つの真理を
こうもはっきりと言ってくれるものか…。
(一つ断っておくが、ネット上では大分手を抜いているので
 毎回こんな駄文しか書いていません。
 ゴミンナサイm(_ _)m )
まあ、これについても後々詳しく書くとしよう。
今はまず、旅を先にすすめるべきなのだ。
そうのこうのとしてサールナートを後にした我々は
ガイドA氏の導きのまま、再びベナレス市内へ。
相変わらずの牛の多さである。
そしてベナレスの特産、織物の工場へ…。

裏ピースを見せてくれたイキなお兄さん。
織物の機械自体はどことなく日本の機織り機に似ているような似ていないような感じだった。
ここでもアジアという大きな流れを実感する次第。


動画内で、織り機の上部にある穴のあいている板が
各織物の図柄のパターンになっているとのこと。

こちらはバーラト・マーター寺院。
ここ、凄いんです。
何が凄いかって?
ふつう、日本でもお寺や神社では
神様や仏様がいわゆる本尊、あるいは信仰の対象として祀られていると思うけれど、
基本的にインドでもそれは同じ。
もちろんこちらの寺院でもそうだけれども、
実はここ、ご本尊がインドの地図。
しかも大理石で出来た立体地図w
あろうことか、高低差まで忠実に再現しているらしい…。


細かい地名までしっかりと刻まれている。
ちなみにここの除幕式には、あのガンジーさんも来たらしい。
つづいて向かったのはバナーラス・ヒンドゥー大学。

なぜに大学……?
と思いつつガイドのA氏に聞いてみると、
A氏「実は僕、ここの大学出身なのw」
……マジっすか!?
とはいえ、構内にはヒンドゥー教の寺院まである。

この像はこの大学の創設者の方の像。
A氏「インドでは、大学やそーいったものを作った人は、そこでは神様と同じね。
   インドでは伝統的に、こうやってちゃんと像を建てて神様と同じように崇拝するんです」
これは実に良いことだと思う。
「良いこと」なんて簡単に言ってしまったけれど、
無意識の中にこうしたものがあるかないかは結構大きいと思う。
この言葉にはかなり感動させられた。
と、ここで聞き覚えのある声が
「甚之助さん、何やってんすか~www」
それは突然の出来事だった。……
一応詳しいことは省くことになるけれど、
実は早い話が私の大学時代の後輩の一人がこちらの大学に今現在留学中だったのだ。
まさか、こんなインドのど真ん中で知り合いと出会うなんて。
私「これ、ウチの嫁w」
後輩「聞きましたよ~w なんで結婚したんすかwww」
私「お前さんには関係ないだろうw ワシの勝手じゃw」
後輩「ですよねw」
私「あ……そこでツッコんでくれないんだ」
後輩「なんの話しッスカ?」
…さて。
いやはや、それにしてもインドのど真ん中で知り合いに(しかも日本人に)
出会うとは…。

件の後輩と一緒に。
さてさて、矢継ぎ早に見てきたベナレスだが、
ベナレスといえば何か。
それはインド通の方も、「インドってどこ?」という方も
容易にお察しいただけるであろうガンジス川である。

このガンジス川にほとりでは、
毎晩プージャーと呼ばれる神事がある。
ぶっちゃけ、見物人は観光客だらけではあるけれど、
それでも毎日欠かさずガンジスの神へと祈りを捧げるというその儀式は
なかなかに厳粛だった。
A氏「僕、一応政府公認ガイドだから、こういうところにも入れるね」
と言いつつ我々は海外の観光客専用のラウンジへ。

全体的によく見える。

近くにはヒンドゥー教の修行者であるサドゥの姿も多くあった。


でも、ここにも牛がw
牛といえば、
牛で評判のお店がすぐ近くに…。

ええ、店内に居座ってましたw
顔が見えないけれど…orz
聞くところによると、この店のマスコットキャラ的存在らしいw
そういえば、時々テレビや雑誌で見かけたことがあるようなないような…。
そうしてこの日もインドの一夜は過ぎ行くばかり。
ということで次回、『インドは続くよどこまでも』
バシバシ行きますよ~。
どこに? インドにw
で、今回は特別編として、ベナレスの街角風景を。
なんというか、もう解説なんていらないと思う。
でもやっぱり、いる?







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