本の話し

2017年08月の本

 
家族最後の日
植本 一子

出版社:太田出版
発売日:2017/02/01

 小説家や写真家に限らず、いわゆる芸術家の身内というのは、良くも悪くも時としてその創作の題材となる。
 真っ赤なカバーにこの表題。帯に写る二人の娘さんたちの不安げな表情と相俟って、それらが本書を手に取った者に物々しい想像を抱かせる。
 しかし実際に読んでみると、なんともあっけらかんとした日々がそこには綴られている。
 その根底に、実母との絶縁、義弟の自殺、夫の癌といった穏やかではない出来事が蠢いているにもかかわらず。
 
 本書の大半は、癌を患った夫でラッパーのECD(本名:石田義則)の闘病と家族を巡る日記だ。
 全体としてネガティブな内容が予想される中、どうしたことか、実にその日々(今も闘病は続いているわけだが)が愛おしいほどにキラキラと輝いて見えた。
 父の不在を淋しげに映す娘たちの表情、人が対峙する中でのどうしようもない矛盾、著者自身の傲慢や自己愛……。
 何一つ包み隠さず、あるがままに切り取られた家族の日常は一体なぜ輝いて見えたのか。
 夫が最初に退院した日、ドキュメンタリーとしてその姿をとり続けた知人のカメラマンの(著者の)“家族”に対しての言葉が印象深い。
 『「…結構バラバラなんですね」』
 退院してきた夫は寝転がりながら携帯を眺め、子供たちはテレビを見ながら夕飯を食べ、著者はパソコンで仕事。
 当人にとってはいつも通りの光景でも、見る者によっては違った風に見えるのは道理だが、ふとこんな考えが頭をよぎった。
 「この家族は、もともとバラバラだったんだ…」
 サザエさんを代表とするような、仲の良くまとまりがあることこそ本当の“家族の証”というような風潮を、日本人はどこかに持っていると思う。
 だが現実、著者家族のような例は少なくないはずだ。
 『家族最後の~』というこの表題は、もしかしたら従来の家族像の終焉を意味するのではないか?
 仲の良い家族像の破砕によって生じた欠片の一つひとつが宙に舞う。
 写真家としての著者一流の視線が、その欠片に爛然と向けられてキラキラと瞬き輝く。
 とそう想うと、先の輝きの意味が見て取れた気がした。
 
 前作『かなわない』は良い意味でも悪い意味でも話題を呼んだが、それはあまりにも丸裸な言葉で現実を捉えていたからだと思う。
 それゆえに本書は、前作以上にリアルな家族の姿が浮き彫りにされているような気がした。
 
 
 かなわない  植本一子

 
大逆転甲子園: クラーク記念国際高等学校ナインと2年4か月の軌跡
中島洋尚

出版社:日刊スポーツ出版社
発売日:2017/05/30

 2016年夏の全国高校野球大会。そこに通信制高校として初めての出場を果たしたクラーク記念国際高等学校。
 多感な青春時代の真っ只中を野球一筋に駆け抜けて、創部3年目にして初の甲子園出場という偉業を果たした彼らの姿を、人は奇跡というのかもしれない。
 しかしここに描かれているのは事実だけだ。
 ひたむきに野球を愛し努力を積み重ねていくその過程は、単にプレイヤーとしてのレベルの向上をもたらせただけに留まらず、選手一人ひとりの人間としての成長をももたらした。そしてそれはいつしかチームの輪を越え、監督やコーチ、更にはその家族にまで影響を与えていく。
 実話とは思えない人間ドラマ。
 努力することの意味を疑い、漫然と現実を受け入れるばかりの人があふれた現代社会において、この本に描かれている事実はある意味異端だ。だが、不可能と一見するものを可能に変える力の存在を、立派に証明している。
 今夏、甲子園のグラウンドに彼らの姿はない。
 しかし、そこに刻まれた彼らの記憶は色褪せることはない。
 

 
おごだでませんように
くすのき しげのり 著
石井 聖岳 イラスト

出版社:小学館
発売日:2008/06/01

 家庭内の諸事情で、昨今絵本と接する機会を逸している。
 だから、この絵本が海外で翻訳が出されるほどのベストセラーになっていることも、最近になってようやく知るところとなった。
 
 そして一読後、これは恐ろしい絵本だと戦慄した。
 表紙に描かれている骨太で勝気そうな男の子。
 彼は「ぼくは、いつでもおこられる。家でも学校でも…。休み時間に、友だちがなかまはずれにするからなぐったら、先生にしかられた」と語る。
 その彼が七夕の短冊にある思いを託した。
 それが表題の「おこだでませんように」という言葉だった。 
 この絵本の救いは、彼の必死の心の叫びが、周囲の大人たちに理解されたところにある。
 そう、この絵本の中では。
 果たして現実はどうだろう?
 子を持つ親をはじめ、幼い子供と接する機会のある大人たちにとっては、「思い当たる節が…」という言葉では足りないほどにシリアスなのではないか?
 「おこだでませんように」という拙い言葉にこめられた祈りが、そのことと相俟って、多くの共感を呼んでいるのだと思う。
 
 故・永六輔さんの言葉に「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」というものがある。
 この主人公の男の子と同じ思いを抱いたことは誰しもあるはずなのに、人として成長していく過程、あるいは日々の生活に追われる中で、いつしか忘れ失ってしまう。
 そして、大人になって同じ思いを抱いているであろう子供たちと接したとき、いったいどれほどの思いを無碍にしたことかと思うと、恐ろしくなる。
 「来た道」なはずなのに。
 なにより、この絵本の“救い”となるような、そうした子供の思いに気付けるチャンスなど、現実に果たしてあるのだろうか?
 読んでいる大人の側に、そう問いかけてくるのがこの絵本の凄さなのだろう。
 子供のための"大人の育児書"
 ふとそんな言葉が浮かんだ。
 
 
 無名人名語録  永六輔

 
コンピュータ・パースペクティブ: 計算機創造の軌跡
チャールズ・イームズ 他

出版社:筑摩書房
発売日:20110/8/09

 1971年に開催されたIBMの展示会「コンピュータの遠近法」
 本書はその展示を記録・書籍化したものだ。
 計算機そのもの以外にも、図面や開発者などの貴重な図版を豊富に収め、1890年代から1940年代の半世紀にわたるコンピュータの開発と成長の歴史がまとめられている。
 資料的な側面が豊富な反面、解説にさけるスペースが限られており、説明文は短い。
 読むというより見るための本といった感じだ。
 ただし見るといっても、そもそも文庫化というスケールダウンを経ているので見づらい。
 それでもコンピュータ黎明期、つまりコンピュータがまだ“機械工作”だった時代の全体像を俯瞰・把握する上での資料的価値は極めて高い思う。
 ちなみに、年代的に掲載されていてもおかしくないと思っていたのだが、ナチスドイツの暗号機・エニグマの解読に当たったコロッサスやチューリングボンベといったものが掲載されていない。
 調べてみたら、元となった展示会開催の直前にようやくそれらの情報開示がなされたらしく、都合間に合わずに割愛したようだ。

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