本の話し

2019年02月の本

 


オウム死刑囚 魂の遍歴――井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり
門田隆将

出版社:PHP研究所
発売日:2018/12/13

 人間には越えてはいけない一線がある。
 その一線を越えてしまった者は、たとえそれがいかなる理由であっても決して許されることはない。
 平成という時代を象徴する数多くの事件、その中でも一際残虐性・凶悪性の強いオウム真理教による一連の事件。教団幹部の逮捕から20余年を経た昨年夏、13人の死刑囚の刑が執行された。その中の一人、元教団幹部・井上嘉浩が膨大な手記を残していたという報道がなされたのは、刑執行からさほど日の経たない頃だった。

 本書はその残された手記を紐解きながらオウム事件を再度振り返ろうというものだ。長年報道の最前線で鍛え上げられた著者の筆致は的確で、500ページにおよぶ大著ながら一気に読み切ってしまった。
 井上元死刑囚の半生、オウム真理教の来歴、事件の経緯、そして逮捕後の贖罪と悔恨……。井上元死刑囚との邂逅はじめ、さまざまな人物への膨大な取材が事件の背景を浮かび上がらせている。
 井上元死刑囚は元来心優しく聡明な少年だったという。そんな彼がなぜオウム真理教への入信に至ったのか、未曾有の大事件に関与したのか、ページを繰る度に衝撃的な事実が描かれている。強大な力の前に一人の人間がいかにゆがめられていったのかという事実、ある種現代のブラック企業にも通じるような歪んだ力関係の姿だ。
 最初の事件が発生してからすでに30年。若い子たちの中にはこの一連の事件を知らないという人も次第に多くなってきた。
 しかし、日本の歴史上稀に見るこの凶悪事件は、今なお我々に多くの謎と真の恐怖を残し続けている。それは、自分の生を自分の意志で生き抜くことの難しさの表出のようでもある。
 一人の人物を中心に描いている以上、その全てが事件全体を客観的にとらえた事実の全てとは言い難い。しかしあの狂気の事件の当事者の言は、その事実の一端であることは確かだ。事件の核心に迫るためだけでなく、人間がどこか心の深いところに持っている真の狂気を知るためにも、必要な一冊だ。

≪関連書籍≫


オウム真理教の精神史
ロマン主義・全体主義・原理主義

無知の涙

増補新版 永山則夫

 
 
 


巨大ウイルスと第4のドメイン
生命進化論のパラダイムシフト
武村政春

出版社:講談社ブルーバックス
発売日:2015/02/20

 21世紀になって続々発見された巨大ウイルス。
 生物を定義する基本単位としての「細胞」とウイルスの中間のような特徴をもつこの巨大ウイルスの発見によって、従来考えられていた生物の分類基準が根本的に見直される必要が出てきた。
 本書はその巨大ウイルスの構造の解説にはじまり、生命の起源と定義、またその発展としての仮説に至る「巨大ウイルス」入門書。基本的な専門用語にもわかりやすい解説がなされていて一般読者にも非常に読みやすくなっている。

 巨大ウイルスについての解説は本書内に譲るとして、本書の魅力は副題にある「生命進化論のパラダイムシフト」という一文にうまく表されている。これまで生物学における主要な分類は五界説(原核生物界・原生生物界・菌界・植物界・動物界)によるものだった。その後、遺伝子の塩基配列の研究の進展とともに、この五界説より高次のドメイン(細菌・古細菌・真核生物)と分類されるようになった。
 しかし巨大ウイルスを研究すればするほど、このドメインの3つの分類とは別の新たな定義が必要なことがわかってきた。そこで「第4のドメイン」という言葉が出てくるのだが、そこには大きな壁があった。
 生物を定義する基本単位の「細胞」とウイルスの中間的な存在である巨大ウイルス=第4のドメインは、果たして生物といえるのだろうか? すなわち生物とは何か、そもそも生きているとはどういうことか、そんな哲学的な命題だ。
 本書内ではその議論の変遷と、多少誇張気味ではあるが著者一流の推察が詳しく語られている。
 生物学、特にウイルス研究に関する基礎と最前線を追う上でもなかなかの好書。

 
 
 


ルイ・アルチュセール――行方不明者の哲学
市田良彦

出版社:岩波書店(岩波新書)
発売日:2018/09/21

 現代思想を代表するマルクス主義哲学者、ルイ・アルチュセール。
 マルクス思想に魅せられつつも共産主義に帰依できない人々に「福音」をもたらした彼は、同時に妻を殺害した狂人という一面をも持っている。アルチュセールを論じようとしたとき、大抵の人はその「どちらかを無視する」より他ないのだが、著者はその両面を「二つの峰」という地続きの構造に見立て、「アルチュセールの哲学」の再現を試みている。
 彼の数奇な生涯を俯瞰した上で、その再現は現代思想において反へーゲルの象徴としてのスピノザを参照項とした偶然性唯物論の可能性の模索を経て、果てにフーコーとの関係性の閾にまで達する。

 アルチュセールの核となる思想を子細に精読していく本書は、正直入門書などという生半可なものではない。表現も平易で読みやすく新書らしいボリュームなのだが、内容のレベルからすると専門書のそれか、あるいはそれ以上かもしれないというくらいに難解だ。実際アルチュセールという名前を聞いたことがない人にとっては、手も足も出ないだろう。
 しかし本書の帯にある浅田彰先生の「このアルチュセール論を読まねばならない」という言葉通り、現代思想を語る上でも本書は今後評価されていくだろうことが予期される。
 何度も書くが、平易で読みやすい文章だが、内容は極めて難解だ。もちろんスピノザに関する論、あるいはフーコーのそれ、またはアルチュセールの生涯と基本的な思想など、それぞれの部分を掻い摘んで読むのもアリだとは思う。だが、いずれにせよ再読は避けられそうにない……。

≪関連図書≫


いま世界の哲学者が考えていること

超図解「21世紀の哲学」がわかる本

 
 
 


徳川おてんば姫
井出久美子

出版社:東京キララ社
発売日:2018/06/14

 著者は江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜公の孫。本書が出版される直前に95歳で逝去された。
 本書はそのタイトル通り、徳川家の末裔として生まれ育った著者が、その幼少期からの”おてんば”な半生を様々な思い出話しを織り込みながら綴った自叙伝。
 資料や日記、あるいは研究といった部分では決して伺い知ることができない「止ん事無き」お家の生の証言が、豊富な写真とともに語られている。
 学生時代、通っていた学習院で大名家・公家の流れを汲む華族の生徒と一般の生徒との不協和音、皇族との数奇な関係、戦時下戦後の転機など、興味深いエピソードが目白押しだ。
 個人的にその中でも一番に興味を惹かれたのは、「有栖川御流」という皇室ゆかりの書風にまつわる逸話だ。有栖川宮家に相伝されて以降連綿と受け継がれたものの、大正期に断絶された際、この書風もまた断絶しかかった。それを著者含め、有栖川宮家に縁のある方々によって守り継がれ、現皇族方にも受け継がれているということに、なんとも歴史・文化の継承のその遍歴を目の当たりにさせられたかのような感動を覚えた。
 また、幼少期から老年に至るまで、歴史上の人物とゆかりのある方々の意外な一面などもかいま見れる。
 この著者をしてよくぞ書き残してくれたという一冊に敬服の言葉しかない。

 ちなみに、以前の羅列記事でも紹介したが、本書にまつわる井出家のエピソードとしてご子息へのインタビューがあるのでリンクを貼っておきたい。
 ●徳川家の末裔「95歳」で作家になった女の一生 (かーずSP)
 なんというか、こちらはこちらでちょっとヒドイ話しもチラホラw

 
 
 

-本の話し
-