ヨコハマメリー:かつて白化粧の老娼婦がいた
中村高寛
出版社:河出書房新社
発売日:2017/08/28
ヨコハマメリー――かつて横浜・横須賀に姿を現した老娼婦。
横浜近辺を特集するテレビ番組では今でもその存在が伝説的に取り上げられている。
本書は、2006年封切された彼女を追ったドキュメンタリー映画の監督による撮影秘話、といったほうが良いのだろうか、それともドキュメンタリー映画のドキュメンタリーといったほうが良いのか、そんな一冊だ。
当時映画やテレビ番組の助監督として伸び悩んでいた著者は、奇妙な縁からメリーの存在を追いかけるようになる。そして取材・撮影の日々の中で起った様々な喜怒哀楽の出来事を、監督自身の雑感を元に描き出されている。それは単なるエッセイのような回想にとどまらず、戦後の横浜周辺で沸き起こった花街の歴史、そこに息づく人々の生活、そしてその奥に秘されたそれぞれの人生を炙り出している。
ドキュメンタリーとは何か? ……撮影の最中、著者が取材相手に投げかけられた言葉の一つがとても印象的だった。
「メリーさんは聖域、つまりサンクチュアリなんだ(中略)だから、むやみやたらに手を出してはいけない」
取材中、この言葉に代表されるさまざまな受難が著者を待ち受けていた。人でもモノでもいつかは消えゆく存在だ。それゆえ後代になってその事物を掘り起こそうとした時、同時代的な人の抱く思いと後代の人が抱く思いとの間には、埋められないほど深い溝がある。ましてそこにかける思いが深ければ深いほど、その溝もまた一層に深くなる。
単に思い出を穢されたくない、あるいは興味本位で近づかれたくない、理由はそれぞれあるだろう。後代その事物を掘り起こそうとする人にそうした気がなくとも、多く場合受け入れられるものではない。
だが、信念が著者を突き動かした。と同時に、反対の力が増えれば増えるほど協力の力もまた増えていく。波乱万丈な撮影秘話はそれ自体でメリーさんの人生を物語っているようにも思う。
私事だが、幼少時、曾祖父に「一本の木が生えていたら、その奥に森があることを想像してみろ」と言われた記憶がある。一本の木――それが一人の人間と考えれば果たしてどうだろう?
映画『ヨコハマメリー』の撮影を通して描かれる人間模様。その中で監督たる著者もまた森の中の一本の木のように逞しく成長していく。
完成間近のある出来事をきっかけに、著者は「私が撮っていたのは、映画ではなく人間だったんだ」という確信を得る。当たり前のことなのかもしれない。しかし著者がそれまで映画に費やしてきた途方もない時間やエネルギーは、そのことに気づくのに必要なことだったのかもしれない。
メリーさんという一本の木の奥に広がる広大な人間模様の森。その彼女の映画を撮ろうとした著者という一本の木の奥に立ち現われた広大な人間模様の森が、それぞれぴたりと重なった時、その地平に一体何が見えたのか? ドキュメンタリーとは何かという命題の答えがそこにあるように思う。
一読後には是非、映画本編も鑑賞して欲しい。
いま君に伝えたいお金の話
村上 世彰
出版社:幻冬舎
発売日:2018/09/06
2000年代、「モノ言う株主」という異名で名を馳せた投資家・村上世彰。ホリエモンこと堀江貴文氏や藤田晋氏などと共に「ヒルズ族」として世間の耳目を集めたが、後にインサイダー取引によって逮捕・起訴されたことはあまりにも有名だ。
更には2015年にも証取委の強制捜査を受けているが、それ契機に自身の理念や信念を世間にしっかり伝える思いに駆られるようになったようだ。
「お金」の良い面も悪い面も知り尽くしたそんな著者が、子どもだからこそ知るべき「お金」の考え方やその本質を語ったのが本書。
実質中高生向きなので社会人からすると少々物足りなさも感じるが、自身の生い立ちやその時々で感じ考えたことなどを交えた解説は丁寧で分かりやすい。
「お金は汚い物」「悪いことをしてるからあんなに金持ちなのに違いない」
日本人にはこうした考えを心底に持った人は少なくないだろう。しかしそのことになんらか根拠はあるのだろうか?
単なる思い込み、あるいは妬みや嫉み、そうした範疇を出るものではないと私は思っている。
本書はそんな「お金」にまつわるネガティブな観点をキレイに吹き飛ばし、むしろ前途に限りない可能性があるようにさえ感じさせてくれる。
それはつまり、「お金」に対する偏見に近い視点や関係性に新しい方向性を与えてくれていることだ。
これを「お金」以外のことにも置き換えてみれば分かりやすいかもしれない。本書中「お金は悪ではなく、使う人によって悪にも善にもなる」と語る一節があるが、これをそのまま人間に置き換えてみてはどうか? 「その人個人が最初から悪なのではなく、その人がどんな人と付き合い、関係していくかでその人は悪くもなり善くもなる」とこう置換できないだろうか?
本書は「お金」に関して語られているが、その関係性を紐解いて得られる新たな視点は非常に多くまた有意義だ。
著者はひとつの指標として「収入を10としたら、7で生活し1を娯楽に当て2を投資にまわす」と言っているが、昨今の社会情勢下、7で生活できる人はそんな多くないかもしれない。
だがそこで視点を変え、たとえば自身の収支を改めてみるだとか生活態度を再考してみるだとか、そうすることで達成できる可能性は十二分に出てくる。
多分、著者の含意はそうした部分にまで及んでいるだろう。
既存の考え方や平均的な価値観にとらわれたままではそれからの成長は望めないものだ。
民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道
スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット 著
濱野 大道 訳
出版社:新潮社
発売日:2018/09/27
ハーバード大学の教授陣によって書かれた全米ベストセラーの邦訳。池上彰さんの解説があることも相俟って、日本でもニュースなどに取り上げられて話題になっている一冊。
独裁政権がどのような過程で生まれ、そして民主主義がどのように崩壊するのか、ヒトラーやムッソリーニ、チャベスといったかつての独裁政権の例やトランプ政権により危機に瀕しているアメリカの現状などを深く考察することで、その具体的な様相を探っている。
著者は独裁誕生のポイントとして「ルールの無視」「相手の否定」「暴力の許容」「自由の制限」という4点を挙げているが、このポイントがどのような土壌を起因としうるのか、その事例を紐解いた時、つまり過去の歴史を知ることで現状の世界がどのような変化を起こしているのかが見えてくる。それは、冒頭の結句に引用されているマーク・トウェインの「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む」という言葉が示すところの「韻を見つける」手段だ。
かつて独裁の台頭によって崩壊した民主主義。それは決して法律や憲法といった明文化されたものによって保障されるものではない。著者はそれを「柔らかいガードレール」という概念、つまり政党同士の「相互的寛容」と「自制心」がうまく機能してはじめて継続的に成立しうるとしている。先の4つのポイントは「柔らかいガードレール」を機能不全に陥れる要因だ。そしてその台頭を許すものは、皮肉にも民主主義の基本的な部分にある「選挙」というシステムであるという指摘には納得させられた。と同時に、かつて独裁の勝利を未然に阻止した事例を紐解けば、この「柔らかいガードレール」という概念がいかに巧みなものであるかも頷ける。
現状の日本の政治についての直接的な言及はないが、本書で繰り広げられる論理をそのまま落とし込めばそこから出てくる答えは明白だ。互いに罵り合うだけの政党、まともに成立していない討論……。しかしそれを行っている政治家たちを選んだのはわれわれ国民なのだ。
本書を通して、政治に無関心であることがいかに恐ろしいことか、その本当の意味を突きつけられたような気がした。もちろん民主主義にもデメリットやジレンマは数多い。だが、その基本理念の一つの「国民主権」の重要性は他に代えがたいものがある。どういう未来を望むのか、それを決められるのは主権者たる国民に委ねられている。
シュナの旅
宮崎 駿
出版社:徳間書店(アニメージュ文庫)
発売日:1983/06/15
スタジオジブリの代表作の一つ『風の谷のナウシカ』。その原作が『アニメージュ』誌上に連載された頃とほぼ同時期に描かれた本作は、その後のジブリ映画の世界観の原点ともいえる作品だ。
後年、プロデューサーの鈴木敏夫氏が語るところによれば、本作は『ゲド戦記』の翻案だったという。
cf,鈴木敏夫が語る『シュナの旅』 宮崎駿が描いた絵物語 (ジブリのせかい スタジオジブリ非公式ファンサイト)
チベット民話「犬になった王子」をもとに全編カラーで描かれた本作は、絵本のように読みやすい。しかしそこに描かれた世界には、自然への畏怖や社会思想、また人間の徳義と悪徳など、その後の宮崎作品にも通じるテーマがギュッと凝縮された感じがある。
ジブリ作品が好きな方にはオススメの一冊といいたいところだが、そういう方々の間ではすでに有名な作品だろう。逆に今までジブリ作品をあまり好きになれなかったという人にとっては、その見方が変わるかもしれない。白状しておくと、私自身ジブリ作品はそこまで好きになれない節があるのだが、この『シュナの旅』だけは今でも時折読み返すほど好きな作品だ。シンプルだからこそ、その余白に立ち現われる世界の深さに戦慄せざるをえない。
ちなみに、作中のあちこちに後のジブリ作品に出てくるネタの原型のようなものがある。そこらへんも見逃せないw