2018年11月の本 | ネットサーフィン見聞記
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2018年11月の本

 

 


雪ぐ人 えん罪弁護士 今村 核
佐々木健一 著

出版社:NHK出版
発売日:2018/06/21

 2016年NHKで放送され反響を呼んだ『ブレイブ 勇敢なる者-えん罪弁護士-』。その番組プロデューサーが、本編では割愛した内容などを大幅に加筆修正し書き下ろした本書。
 刑事訴訟において一弁護士が生涯で勝ち取れる無罪判決は1件あるかないかという中で、過去に10件以上もの無罪判決を勝ち取ってきた稀代の弁護士・今村核。本書はその仕事をはじめ、生い立ちや人生観など人間としての今村弁護士の姿を克明に切り取っている。そしてそこで見えてくるのは、苦悩に満ち溢れた人間臭い一面だった。

 多少司法関係に興味のある人なら、日本の刑事事件のほぼ全てが有罪となっている事実を知っている人も多いと思うが、そこには有罪が濃厚なもののみ起訴されているという建前がある。しかしその実は、日本の司法制度そのものの宿阿ともいうべき旧態然とした慣習に追うところが多いという事実。裁判の場が有罪か無罪かを判断するところではなく「有罪を確認するところ」となっていること、その裁判官がどれだけの件数の裁判をこなしたかが自身の出世に関わってくるという事実、結果多く出されている有罪判決に倣った方が効率よく業務を行えるが故に書かれる判決文、仮に弁護士が無罪判決を勝ち取ったとしても十分な報酬がほぼ期待できないことなど、数えればキリがないほどの事柄が複雑に絡み合っている。本書を通して、読者は日本の司法制度の現状に惨憺たる思いにさせられることだろう。
 しかし当然裁判官も警察・検察、そして弁護士も自身の生活があり家族もある。背に腹は代えられないことも確かだが、そこで無実の罪を有罪とされるいわゆる”えん罪”事件もまた同等に扱われている現状では、もはや『疑わしきは被告人の利益に』など有名無実の原則に等しい。
 ネットが普及した昨今、痴漢事件を筆頭としたえん罪事件がいかに多いかということが世間的にも次第に認知されてきているが、それでもなおその数が減らない理由でもある。
 そんな日本の司法制度の中で孤軍奮闘している件の今村弁護士の姿には、「無実の罪の人を救う」「健全な司法を取り戻す」といった情熱あふれる弁護士というよりも、どことなく冷静な科学者のような印象を受けた。もちろんそういう気持ちは人並み以上に持っているのだろうけれど、それよりも、本当の事実はどうだったのか実際に何が起こった、その真実を検証するために途方もない努力を惜しまない姿勢が本書のいたるところに描かれている。
 どうしてそうした弁護姿勢をとるのか、そしてなにがきっかけとなったかの具体的な話しは本書にゆずるとしても、一つ、この今村弁護士は悩んで悩んでもがいた果てにその悩みの壁を突き抜けた人だということは言っておきたい。東大法学部卒という学歴、弁護士という社会的地位、一般では「勝ち組」といわれるような立場にいながら彼は何に悩んでいたのか? 本書ではそんな一介の人間としての今村弁護士の姿を温かく見つめている。また、放送された番組内でもそうだったが、本書を読み進めていく中で、最初は少し頑なになっていた関係性が次第にほぐれ、最後にはお互い心を許していく姿がとても感動的だった。


冤罪と裁判

冤罪はこうして作られる


これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得
荒木優太 著

出版社:東京書籍
発売日:2016/02/24

 在野研究といえば誰もがエリック・ホッファーの名を挙げることだろう。沖仲仕や農業労働者として働く傍ら、余暇のほぼ全てを自身の思索・研究に費やしたその生涯と功績は多くの人に影響を与えた。もちろん私もその影響を受けた一人なのだが……。
 とはいえ在野研究という分野において生涯無名のままだった在野研究者はあまりにも多い。と同時にホッファーほど突出して世間に認知されていなくても、各学術分野で大きな貢献を果たした在野研究者の例も多い。
 本書では在野研究者としての姿勢や準備といった”心得”をキーワードとして、そうした在野研究者の生涯と研究内容を紹介している。

 私自身、現在本業は農家ということになっているが、実際余暇のほぼ全てを自分の研究や調査に充てている(そうしたことの結果報告などに使いたいと思ってサブブログの方もはじめたけど、冬前のあわただしさで最近めっきり更新できていないのが残念)。だから一応肩書としては農家兼在野研究者という風な言い方をしてはいるが、今住んでいるような田舎ではそんなことを言っても怪訝な顔をされるだけだったりする。……どうしても日本にあってはどこかの大学や研究所に在籍していない限り研究者や学者として見なされないという風がある。もっともこれは他の分野でも言えることだが、権威主義というか建前至上というか、日本人の特性みたいなものだ。著者も本書のあとがきで「(日本で)研究者になりたいのなら教師(大学の教員)になるしかない」とことあるごとに言われそのたびに憤慨していたと書いているが、その気持ちは非常によく分かる。なにも研究者は教師であらねばならないということはない。そうした先入観がそう思わせていることを、本書の在野研究者たちの姿から読み取れる。つまり、他人がどうこう世間体がどうこうという話しと、自身が研究対象を追い求めることは全く関係のない話しなのだ。

 私も一介の在野研究者と自称していてよく揶揄されることもあるが、その度に「自身の中で真の体系あるいは価値を見出した者にとって、世間のもってる価値観なんてまったくの無意味」と反論している。もちろんこの言葉の裏には、それを手にするためにどれほどの犠牲を払わなければならないかという負の部分もあるわけだが、それを呑みこんでも自身の知的探求を選んだ者にこそ在野研究者としての資格が与えられると思っている。
 ただし、本書を読む中で、この”犠牲”という部分が大きな問題として時折顔を覗かせている点は考えなければいけない。およそその犠牲の影響を受けるのは家族なわけで、家庭持ちの研究者にとっては悩みの種であることは明白だ。またその家族にとって研究者は往々にして単なる道楽者と思われている節もある。そのために本書では『家族の理解を得るべし』といった心得がキーワードとして挙げられている。そしてその心得は40項目にもわたっており、これはもはや在野研究のためのノウハウといっても過言ではない。自身も在野研究者として活動している著者だからこそ書けたことだ。
 もちろん本書は在野研究者の生涯を追うだけでも楽しめる。相沢忠洋、南方熊楠といったメジャーな人物をはじめ、その研究者ごと悲喜交々の人生が語られている。皆一様に個性が強烈だw


トラクターの世界史 – 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち
藤原辰史 著

出版社:中央公論新社(中公新書)
発売日:2017/09/20

 産業革命冷めやらぬ19世紀末に誕生したトラクター。それは農業という人類にとって必須の産業に革命的な変化を与えた。
 農業の基本となる作業の一つに土を耕すことがあるが、人類はその作業のために最初は手や木片で、その次に鉄を用いた農具で、そして牛や馬といった家畜を用いて鍬などを曳かせてきた。しかし自身で動力を持ち人馬の何倍もの力を出せるトラクターの登場でその様相は激変した。それまでの何倍、何十倍もの面積を耕起することが可能となったのだ。副題の「人類の歴史を変えた」とは決して大言壮語ではない。

 私も日々の農作業でトラクターを頻繁に使うが、それは田畑を起こす時に限らない。油圧やいわゆるPTOというエンジン動力を外部に伝えるシステムなどを用いることで、さまざまな作業機・管理機を用いた作業を行う。また前方にバケットを付けてホイールローダーとして使うこともある。今や農家にとっては必ず必要な機械だ。
 しかしその登場前後の話しや、どのような進化をしてきたのかを実はあまりよく知らなかった。本書はその黎明期から改良・量産された経緯を詳細に解説してくれている。
 中でも特に興味深かったのがトラクターと世界大戦との関係だ。トラクターの機構を参考に戦車の原型が作られたことは知っていたが、それらを巡る業界の会社同士あるいは国家間に熾烈なせめぎ合いがあったことは括目に値する。またそれと相俟って、世界中にトラクターがどのように浸透していったかの、人里離れた農村部にまでどのように受け入れられてきたのか、興味深い内容がつづく。
 さまざまなトラクターの貴重な写真など、図版資料も適当に掲載されていて個人的に非常に読みやすい印象を受けた。


ウィザードリィ日記 Kindle版
矢野徹 著

出版社:角川書店(角川文庫)
発売日:2016/02/25

 『ウィザードリィ』は日本のドラクエやFFなどにも多大な影響を与えた知る人ぞ知る伝説のRPG。
 本書はその『ウィザードリィ』と御年63歳の時に出会った作家の故・矢野徹氏がつづった文字通り日記だ。もともとは1986年に刊行されたものだが、30年後の2016年に電子書籍として再版された。

 1986年といえばドラクエが発売された年でもある。私も昭和の終わりの方に生まれているが、父が仕事の経理で使うために早くからパソコンを導入していたこともあって、その頃のパソコン界隈の空気を一応は見知ってはいる。周辺機器はそれぞれコネクターの形状が違ったし、ソフトもその会社その会社で規格がバラバラだったし、ソフトごとに一回一回パソコンを再起動させなきゃいけなかったり……。あの頃を知っている人にとってはとても懐かしい一冊なのだが、いかんせん日記調なのでそれを念頭に読まなくては少し難がある。
 というのは、最初の頃、それこそ『ウィザードリィ』にどハマりしていた時期は現実と区別がつかなくなるほどの熱をもっているが、次第に飽きてきたのか、当時のハードあるいはソフト関係の使用感想記やそれにまつわるニュースの話しなどに終始するようになる。もちろんかなりの筆力をもって詳細に書かれた文章だけに、当時を知る資料としては素晴らしいものがあるが、最終的に「『ウィザードリィ』どこ行った?」感は否めない。
 しかし一つ救いがあるとすれば、著者が各ハードやソフトに対して指摘している点、あるいは将来的な展望を予測している点など、30年経った今、その数々が実現されていることだろうか。SF翻訳家としての一面も持つ著者だからこそできた指摘といっても良い。本書が1988年に星雲賞を受賞しているのは伊達じゃない。

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