世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語
エドワード・ブルック=ヒッチング 著 関谷 冬華 訳
出版社:日経ナショナルジオグラフィック社
発売日:2017/08/28
地図を眺めているだけでワクワクするという人は多いだろう。そこに古い時代の地図を重ねてみれば、積み重なった歴史の時間と相俟って、否応なく想像力は何倍にも掻き立てられる。
本書は単なる古地図集ではない。大いなる希望、あるいは野望をもって海を渡り陸を歩いた探検家たちが、そこで見聞したあるいは人口に膾炙したという“未知”の世界が描かれている地図だ。
もちろんそれが虚栄を装った恣意に満ちたものであっても、世界の大半が詳らかに語られない時代にあって、世界は常に未知に溢れ畏敬を以て人はそれに対峙したのだろう。
本書に登場する様々な国や島、地域はどれも単なる絵空事ではなく、中にはつい最近になってその存在が否定されたものや、地殻変動によって現在はその存在を確認できないものまで、幅広い地域・年代を網羅していることはもとより、それぞれに対して興味深いエピソードが詳細に語られているのも読みごたえがある。ただし、それらが統一的に分類されていない点少し読みづらさがある。また、アジア地域で描かれた地図が皆無なのも残念。
とはいえ、いろんな思惑の下、未知の世界に飛び出した探検家たちの心持や如何と思いを馳せながら、眺めてみるのも面白いかもしれない。
AB版・250ページ超の本書はずしりと重い。その重みは、人類の“妄想”力の歴史の重さなのかもしれない。
夕暮れもとぼけて見れば朝まだき――ノッポさん自伝
高見のっぽ
出版社:岩波書店
発売日:2017/11/29
「あ~あ、しゃべっちゃった…」そのセリフは突然だった。
今でも名番組として名高いNHK教育テレビ『できるかな』のノッポさんは、番組の中ではもの語らぬ人だった。そのノッポさんが番組最終回のその日、ついにしゃべったのだ。
すらりとした長身、ズボン吊りのついたパンタロン、チューリップハットとモジャモジャの髪の毛……。現在30代から60代くらいまでの人なら誰でも知っているその姿で、テレビをつければいつもその向こうで待っていてくれた子供の頃の僕らのアイドル。
そんなノッポさんも歳をとる。『できるかな』の放送開始が1970年。番組終了からおよそ20年。ノッポさんも80歳を越えた。
しかし今でも俳優・作家として活躍されている。テレビや舞台でも『グラスホッパー』『マダム・ソンジョソコラ』などに扮した姿で登場したのは記憶に新しい。
ただ、それ以外の姿を今まで目にしたことがあるかといえば正直自信がない。
本書にはそんなノッポさんの半生を中心軸に、家族恩人・仕事仲間や当時視聴者だった子どもたちなどいろんな人への思い、番組の制作秘話ともいえる裏話、そしてこれからのことが飾ることなく描かれている。また、80歳を超えたお爺ちゃんが書くとは思えないほど可愛らしい文章に心が和む。ページを繰れば、そこには当時よりもっと素敵になっているノッポさんがいる。面白かった話し、辛かった話し、嬉しかった話し、悲しかった話し……どれもあの日突然に聞いた声そのままで語りかけてくれるようだ。
読み終えて、正直に「こういう歳のとりかたをしたいな……」と思ってしまった。じっくりと味わいながら読んで欲しい一冊。
『パンセ』数学的思考
吉永良正
出版社:みすず書房
発売日:2005/06/10
哲学あるいは物理学、数学、またはキリスト教神学など、幅広い分野で功績を遺した知の巨人ブレーズ・パスカル。彼の代表的な著書である『パンセ』はその死後、膨大に残された手稿を基に編纂・刊行され「人間は考える葦である」という名言とともに有名だが、『パンセ』自体の凄味は、そこで取り上げられているジャンルがあまりにも多種多彩で、パスカルという天才の思索の深さと探究テーマの多様性を物語っている点にある。
本書は『パンセ』中に見える数学的考察を探究しようというものだが、その実は数学者としてのパスカルを通じ、パスカルという人物を読み解こうという試みでもある。
とはいえ内容はそこまで難くない。むしろ『パンセ』をテキストに講義をする、そんな雰囲気さえある。全体的に言葉も平易で分かりやすく読みやすいのだが、目次の直後に『パンセ』からの抜粋が附されているかと思えばすぐに本文に入ってしまい何やら展開が唐突すぎる。もう少しプロローグのような、本書の全体を俯瞰するような導入部があればうれしかった。
しかし著者は自身が「パスカルの専門家ではない」としながらも、現代科学のさまざまなエピソードを交えつつ、終始、数学者としてのパスカルの思考が現代にまでどうつながるのかを丹念に解説してくれている。
いずれにしても理系の人への哲学、殊、科学哲学の入門書として最適なのは間違いなさそうだ。
≪関連図書≫
パンセ(上) |
(中) |
(下) |
本の中の世界
湯川秀樹
出版社:岩波書店(岩波新書)
発売日:1963/07/01
「素養」という言葉がある。日々の修養を通して積み上げられた教養という感じだろうか?
その下地を形作る過程は人それぞれだろうが、多くの場合、それは読書に委ねられるのではないだろうか。
本書は日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士の名随筆にして岩波新書の名著の一つ。最近また版を重ねた。
世に名著・名作と呼ばれるものには相応の読み継がれる理由がある。本書の場合、物理学者としてのお堅いイメージとは一線を画した、くつろいだ柔和な筆致が読む人のこころを優しさに包んでくれるところにあるのかもしれない。
本書で取り上げられている書籍は、東西の古典からドストエフスキー、森鴎外、アインシュタインと幅広い。そしてそれぞれに対しての感想も、時に専門の物理学の話しに及んだり、幼少時の思い出に及んだり、様々な挿話を織り交ぜながら丹念に語られており読む者を飽きさせない。なによりその学識の広さには驚かされる。
なかでも、中国の古典から大いに影響を受けたという逸話は非常に驚きだった。幼少時、祖父について素読をしたことを皮切りに様々な古典を読み進めていったくだりが本書冒頭にあるが、後に物理学者となってからもその邂逅がバックボーンとして博士一流の思索の礎を築いたというのは、なんとも素晴らしい話しだと思う。
また同時代にあったアインシュタインやラッセルについて語る一節は、言葉の端々にまで敬意に満ちた気持ちが読み取れる。
博士の人柄ももちろんだが、なにより、教養を兼ね備え且つその分野で類まれなる功績を遺した人物のもつ“深み”が味わえる良書だ。