本の話し

2018年08月の本

 


数学ガール/ポアンカレ予想 (「数学ガール」シリーズ6)
結城 浩

出版社:SBクリエイティブ
発売日:2018/04/14

 『数学ガール』シリーズの第6弾。前回より6年ぶりの新作が与えた課題はトポロジーに関する難問。
 このシリーズは少女たちの成長とともに送るノベライズの形式をとっているが、すっかり大人になった彼女たちを見るのはどこか微笑ましくも頼もしい。

 件のポアンカレ予想に関して、実は本書では多くは語られていない。むしろその前段階の話しまでで終止している。もっともこの問題を扱ういわゆるトポロジー(位相幾何)という数学のジャンルは、高校まで慣れ親しんできた幾何学の様相とはその姿を異にしている。それを本書中のストーリーにおける女子高生たちに語らせるのは酷とも言える。なにより、この分量の書物で収まる程度のものでもない。その点、シリーズ史上唯一本題に取り掛からない作品となってしまったのは仕方のないことなのかもしれない。

 とはいえ、本書においてはその前段階、あるいは前提となる部分に関して優れた解説がなされていることは特筆すべきだろう。通常の高校数学で教わる幾何学では到底想像もつかない位相幾何の世界。そこへの踏み台を懇切丁寧に解説してくれている感は否めない。と同時に今では解決されてしまっている『ポアンカレ予想』だが、その導入ですらいかに難解であるかを物語ってくれる。

 本書を含め、このシリーズはノベライズの形式ゆえかもしれないが、時折グサッと心に響くセリフがある。もしこの言葉が学生時代の数学教師から聞こえてくるならば、理数系への眼差しは違ったものになっていたという人は多いかもしれない。

関連図書


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失われた宗教を生きる人々
ジェラード・ラッセル:著 青木 健:解説 臼井 美子 訳

出版社:亜紀書房
発売日:2016/12/16

 まずこの本の著者は宗教学の専門家ではない。またジャーナリストでもない。本書中に著者の略歴がないのでどのような経歴の持ち主か、正確なことは分からない。
 ただし、中東の民族やイスラム以前の宗教との邂逅は、イギリスの外交官あるいは国連職員として中東各地に滞在していた折であることが記されている。

 本書は中東の古き文化・文明に魅せられた著者が、中東各地に残るイスラム教以前から信仰のつづく少数派の諸宗教の現状について、緻密に取材を重ねた力作だ。
 中東という言葉を聞いて、多くの人はイスラム教一色に染め上げられた世界を思い浮かべるのではないだろうか? しかしこの地帯はかつて人類の文化・文明の端を発した場所の一つでもある。様々な宗教・信仰・伝統が生まれては淘汰されていった歴史を、幾重にも重ねてきた場所だ。イスラム教の台頭とともにそれらは少数派として追いやられ、離散してしまった民族、僻地へと追いやられてしまった宗教、聖地を去ることを余儀なくされた信仰が生じた。
 それら諸宗教を今なお礎として生きる人々の現状を追う中で見えてきたものは、かなり悲観的な未来でしかない。多数派のイスラム教に囲まる中でいかに信仰を伝統を守っていくか。そのためには常にすぐ隣にあるイスラム教と関わっていかなければならないことをも意味している。
 本書冒頭で著者は「(少数派の現状を描くことを通じて)イスラム教の真の姿に近いものを描け」ていればと願う。私自身、宗教学としてのイスラム教あるいはイスラム社会の知識はあっても、その実態について直接触れられる機会をそう多く持ててこられなかったが、本書を読んで今までの印象が鮮やかなまでに覆ったことは認めざるを得ない。それほどまでに、中東が抱えている内情の描写が緻密にして精密だ。
 ただし、イギリス出身の著者ゆえか、ところどころでキリスト教側というか西欧人特有の視点・観点で論じられている部分があることは念頭に置いておいた方がいい。これについては本書中で解説者も触れている。


ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか?
細田昌志

出版社:イースト・プレス(イースト新書)
発売日:2017/10/08

 はじめに断っておくと、本書はここに登場するミュージシャンたちに直接取材を行った見聞録ではない。
 むしろ著者が集められるだけの資料を基に推測し、構築した論理である。とはいえそこに妙なほど信憑性があるのは著者の筆力という以外にない。

 日本歌謡界が華やかしき頃から今に至るまで、その業界に名を馳せた音楽人の中に離婚経験者は少なくない。芸術家ゆえの感情的な移り変わりの激しさ、きまぐれ、そうしたことではどうにも説明のつかない部分である。
 その一方で市井の人々、ことにマスコミに先導されがちな人びとは「他人の不幸は密の味」といわんばかりに件の話題には面白いほど食いつくものだ。つまり感情的な印象論ばかりが先行して、公平かつ公正な論理的議論がなされない。むしろ自分たちには関係のないであろう当事者たちに、安全な島の上から石を投げつけているようなありさまだ。いたしかたのないことだけれども、当事者としてはたまったものではないだろう。
 しかしそれは予測出来うるはずの事象だ。当人たちも自分たちの影響力の大きさを自覚していれば容易に思い当たるはずだ。だがそれでもなお、なぜ彼らはこううした結論に至ったのか? 著者の推論の範囲において、その理由はかなり美化されているとしか言いようがない。無論、それも仕方のないこと、あるいは個々人の様々な理由といえばそれまでだが、結果として本書に取り上げられている人物たちに共通する「浮気」の正当な理由にはなっていない。
 事情が人それぞれ異なるのはどうしようもないことだけれども、もう少し説得力のある根拠が示されて欲しかったというのが正直な感想だろうか。もっとも、本書の当人たちの気持ちも性差を超えて人としてわからないわけでもないのだが。……


「幕末」に殺された女たち
菊池 明

出版社:筑摩書房(ちくま文庫)
発売日:2015/05/08

 本書タイトルは「『幕末に』殺された~」となっているが、一読後に一念の疑問が過った。果たして本当の意味で幕末に殺されたのだろうか?
 本書で取り上げられている人物達はいずれも幕末の激動の時代にあって奔走した男たちの妻もしくはその家族だが、いずれにしても現代的なものの見方をすればその余波を受けたに過ぎない例を数多く見る。
 その死を単に不可抗力的な意味合いで蔑ろにするわけではない。むしろ、その姿は当時の常識としては真っ当もしくは鑑として称えられるのだろう。“殉死”と彼女らの末期を語った方が適切なのかもしれない。

 あの時代の余波は後世にいかなる影響・結果をもたらしたか、今の私たちは知りすぎるほど知っているが、その陰で名も語られず非業の死を遂げた人がいることをまた忘れてはならない。
 激動の時代という言葉もあるが、それは時代の展開に限らず、人の一生をも大いに揺さぶるものであることを特に戦後の私たちの生活は失ってしまっているように思う。
 先の第二次大戦以上に大きな転換を迎えた幕末・維新の折、現代の常識では到底及びもつかないほどの凄惨な現実がそこにはある。それが何を物語って何を残したか。今一度考えなおす時なのかもしれない。

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