バブル:日本迷走の原点
永野健二
出版社:新潮社
発売日:2016/11/18
「バブル」とは一体なんだったのか?
私自身、幼少の頃の出来事だったので、
連日ニュースや新聞でやれ「リクルート」だ「野村証券」だなどと
そうした単語が飛び交っていたことくらいにしか記憶はない。
地価がどうのこうの株価がどうたら、
年歯のいかない子供には到底理解できないような話しで持ちきりだった。
そしてちょうど小学生になったころ、今度は「バブル崩壊」という言葉が紙面に躍っていた。
その後の20余年にわたる景気低迷はご存じのとおり。
日経新聞社の元エース記者としてバブルとほぼ隣り合わせにいた著者による本書は、
当時の新聞記事の解説や各論に示された代表的事件の背景、
今でこそ表沙汰にできる舞台裏など、
「バブル」という時代が孕んだ珠玉の物語を構造的に織り合わせて
記述・分析している極めて優れた良書だ。
バブル期全体を俯瞰した形で総括しているわけではないが、
筆致も見事で読み応えも十分といって過言ではない。
「歴史は繰り返される」の言の通り、
時間の経過とともに客観的な事象の把握が可能になるに至って、
その構造は人類の有史に蓄積された別の経験と酷似しているということがままある。
それを以て歴史を学ぶ意義のひとつと数えることもできるだろうが、
同時に未来を予測するに十分な要素ともいえる。
テレビやネット全盛の時代。
日夜時間を問わず真新しい興味惹かれる情報を手に取ることのできる昨今、
個々の情報同士の浮沈も激しく栄枯盛衰も甚だしい。
ニュースで取り上げられる話題も刹那に次の話題へと取って代わられる。
情報という大きな渦の中にあって、
その実、短絡的なものの見方に留まってしまっているようにも感じられる。
もっと大きな視点、長期的な捕捉が必要なのではと切に感じている。
著者は「おわりに」の中で自身の苦い述懐を通し、
「いま」の日本に対してかつての経済史が問う切実な思いがつづられている。
中途半端な形でバブルの時代の雰囲気を知っている者として、
このあとがきを読み終えて、この本を読んで素直に良かったと思えた。
奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき
ジル・ボルト・テイラー (著) 竹内 薫 (訳)
出版社:新潮社
発売日:2012/03/28
人生とは時に残酷な試練を人に与える。
それが神が望んだことなのか、あるいは運命としか言いようがないのか、
それは分からないけれど、この著者の場合、本当に偶然としかいいようがない気がする。
脳科学者が脳卒中になる。
この本はその時の体感や身体への影響、
感覚・言語が徐々に失われていくという脳の活動の様子を
著者自らの主観的体験として叙述するところから始まっている。
脳卒中を発症しているというのに、研究者の鑑というべきかどうか言葉に迷うが、
だが、その生々しい体験を通して改めて脳の素晴らしさに感動している。
その後の回復のきっかけになった体験や思考などの「回復への旅」を通じ、
脳卒中が脳について教えてくれたことが率直に述べられている。
本書はTEDでの著者自身のプレゼンなどを通し一躍ベストセラーになった本ではあるけれど、
読む側の認識次第では時に誤解を生むのではないかと思われる点もいくつか目についた。
ネタバレにもなってしまうので詳しくは書かないが、
本書で述べられていることはあくまで脳科学という裏付けをもって示されている事なので、
オカルト的志向やスピリチュアル体験などといった安易な読み方は避けるべきだと思う。
もっともそうした誤解を招きかねない記述も散見することは確かだが、
著者の衝撃的な経験を追体験するような、大きな構えで読んで欲しいと思う。
お寺の収支報告書
橋本英樹
出版社:祥伝社
発売日:2014/08/02
ことあるごとに書いているが、
私は学生時代の専攻がインド哲学・仏教学ということで、
同窓にも、また先輩後輩にも寺院に関わる職に就いている者が少なくない。
加えてこれもいつか書いたかもしれないが、
数年来、思想的な問題を端に日本仏教というものに対して強い不信感を抱いている。
本書のタイトルは『~収支報告書』となっているが、
その実は現代仏教批判、強欲僧侶批判がメインである。
そこに風穴を開けようというのが本書の狙いのようだ。
普段生活している中では見えてこない寺院経営の実態をはじめ、
葬儀や墓地などの裏事情、果ては住職身辺の問題点など、
著者自身の経験を踏まえて列挙されている。
そしてその問題をどう解決していくのか、
具体的なモデルを提示した上で解説している点はとても面白く読めた。
ただ、それでは根本的な解決にはならないのではないか? とも思う。
著者自身も住職として寺院運営をしていかなければならない身の上。
本書内でも書いているが、著者の寺院ではお布施など定額制にしているというが、
それは明朗会計になったかどうかというだけで、
葬儀・法要に「料金」を求めていることに変わりなく、
寺院の収入源が変化したワケではない。
確かに宗教法人といってもそこに関わる人々もまた普通の生活を持っている。
だから経済社会の中にあってはお金はどうしても必要である。
寺院を運営するお金とは別に、住職個人の収入は本人がどう使おうが勝手だ。
仏教が日本に伝来して以来、歴史の変遷の中で制度化され、
その中で少しずつ蓄積されてきた塵芥が今になって悪さをしている。
そうした見方でもって解決の糸口を探らない限り現状は変わらないのではないか?
本来寺院は修行の場であるし、僧は修行する身である。
つまりいわゆる煩悩に紛れていて当然であるが、
いつの頃からか崇高な人格者というレッテルがついて回り、
それが私生活とのギャップに違和感を与えているのではないか?
僧侶は仏ではない。人間だ。
まずは、そうした基本的な改革から乗り出さなくてはならないと思う。
もちろん、寺院の運営に苦慮しているところもあれば、
見返りなど求めず尽力する僧侶も多い。
その反面、強欲な人もいる。
寺院の裏側を知るという目的で一僧侶の意見を聞く、
そう読んだ方が無難かもしれない。
ただし、個人的には著者のさまざまな試みは大きく評価できる。
現代社会にあって仏教との接点が葬式だけに限られるというのはとてももったいない。
タッチポイントを増やす意味でも著者の今後の活動に期待はしたい。
のら猫拳
アクセント
出版社:エムディエヌコーポレーション
発売日:2017/01/25
方々で話題に熱が増してきているこの写真集。
ネコ好きにはたまらない一冊。
「中に人が入ってるんじゃ?」と思えるくらいに躍動的なネコの姿が目を惹きます。
格闘、ダンス、宿命の対決と、コンセプトも秀逸。
時折テレビなどでも紹介されていますが、
猫じゃらしなどのおもちゃを用いて猫の気を引き撮影されたというこれらの写真。
思わずネコ先生たちには「お疲れ様です」と頭を垂れたくなります。
しかし、実際こんなネコに路上で出くわした日には、心中穏やかじゃないんだろうな…。