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江戸時代の6歳の幼女の遺書

江戸時代の6歳の幼女の遺書

2017年04月26日 17:00 ・感動雑学歴史

tsuyu_waka-s.jpg


先日、国立公文書館のデジタルアーカイブで調べものをしていたらこんなものを見つけた。

幼女遺筆 (国立公文書館デジタルアーカイブ)



別段“幼女”という言葉に惹かれたわけではないが、
ちょっと気になったのでリンクを辿ってみると、2通の古文書が掲載されていた。


 tsuyu_waka-s.jpg
 幼女遺筆(和歌)


 tsuyu_tegami-s.jpg
 幼女遺筆(手紙)



なんとも幼子らしい手である。
しかし“遺筆”となっているのにひっかかってちょっと調べてみたが、
これを書いた松平露(露姫)は数え歳で6歳の時、天然痘が原因で他界していた。
cf,松平露 (Wikipedia)


上記wikipediaのリンク内容ほぼそのままだが、
文化16年(1817年)、因幡国鳥取藩の支藩、
若桜藩第5代藩主・池田定常(松平冠山)の十六女として江戸に生まれた。
亡くなったのは 文政2年(1822年)。


江戸とはいえ紙など貴重な時代。
よくぞ残っていたと思うが、この遺筆は露の死後に机の中から見つかったもののようだ。



tsuyu_tegami-s.jpg

これは幼女遺筆(手紙)の方だが、
父・定常(冠山)に宛てたもので

「おいとたか
 ら / こしゆあ
 るな / つゆがお
 ねかい申ます /
 めてたくかしこ

 おとうさま

 まつたいらつゆ

 上あけるつゆ 」

と書かれている。


意味としては
「お父上はもうお歳なのだから、あまりお酒を召し上がらないように
 つゆはお願い申します めでたくかしこ」
といったところか。


幼子として父の身体を気遣う心配りが微笑ましくもあり、
また早熟した具合も見て取れるが、
最愛の幼娘を亡くした父が、その死後でこの遺筆を目にした時の心中は、
想像を絶するほどの悲嘆に満ちたものだったのだろう。

実際、父・定常(冠山)は相当な酒豪であったようだが、
後年の記録によれば、この遺筆を読んで以降お酒は一切口にしなかったという。



またもう一点、

tsuyu_waka-s.jpg

これは侍女であった「たつ」と「とき」の二人に宛てた和歌で、

「ゑんありて たつときわれに つかわれし
         いくとしへても わすれたもふな

      とき たつ さま   六つ  つゆ  」

とある。


意味としては

「ご縁あってこの世を旅立つときに私に仕えていたあなた達二人、
 いつまでも私のことを忘れないでいてください」

といったところだろう。


この和歌の中「たつときわれに」という部分、
侍女二人の「たつ」「とき」の名が掛けられているところを読むにつけても涙が誘われる。
時代的なこともあるだろうけれど、数えで6歳の子が詠んだ歌とは思えない出来だ。



後年、父・定常(冠山)は亡娘の菩提を弔うと共に、
その遺筆を模刻した木版刷りを親類縁者に配布した。
それが方々で評判を呼び、江戸の文人らを筆頭に、
多くの著名人が追悼文や詩歌の類を贈ったと記録されている。

それらは後に全30巻に及ぶ『玉露童女追悼集』として纏まとめ上げられ、
露姫が生前とくに参詣していた浅草寺に奉納され、現在いまに伝えられてる。


また1988年からは刊行会より全5冊にまとめられ出版されており、国会図書館でも閲覧可能だ。
cf,玉露童女追悼集 (国立国会図書館サーチ)





※本文中の写真は国立公文書館デジタルアーカイブ内の該当箇所より
 画像ダウンロード表示により取得したものです。


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