本の話し

2017年03月の本

 
棋士の一分
橋本崇載

出版社:角川新書
発売日:2016/12/10

プロレス、相撲、メタル……
昨今、かつてその人気が一度は凋落したジャンルの復活が目覚ましい。
そこには様々な試行錯誤があったに違いないが、
内部で関わる人だけでなく、往年のファンをも含めた
大々的な意識改革が形而上でも形而下でもあったことは想像に難くない。
ではそれを突き動かしたものは何か?
様々な要因の中で共通するのはやはり危機感ではなかったろうか?
ネット上でも折に触れ話題をさらっていくハッシーこと橋本八段。
彼が旧態然としている日本将棋界の改革を、
半ば内部告発とも言うべき内容にまで触れて声を上げている本書。
「若い人が立ち上がるようにならないと、本当に先がない」
コンピュータ将棋への否定的な姿勢、故・米長元会長への名指しの批判。
かなり手荒い感じは否めない。
しかし、こうした抗戦的な姿勢は将棋界にとどまらず、
世間に未だはびこる旧態然とした組織を改革する上では必要なはずだ。
単に抗うというだけでなく、今を未来につなげるために。
静かに衰退する道を選ぶか、再びファンを熱狂させる盛り上がりを見せるのか、
著者の言うとおり、それを選ぶのは今しかないのかもしれない。
しかしこの本には、個人的に非常に残念な思いがある。
本文の中にも出てくるが、昨年秋の三浦九段をめぐる疑惑。
もしこの一連の疑惑の前に本書が刊行されていたのなら、
橋本八段の言葉は、将棋ファンのみならず多くの人々の意見と相まって、
それこそ本格的な改革の道しるべとなったと思う。
冒頭でこのことについても触れられているが、
せっかくなのでもっと踏み込んだ意見を聞きたかった。
また、刊行間もない頃のtwitter上での発言及びその削除など、
せっかくの本書の内容を単なる愚痴のようにしか読めなくしてしまったのが口惜しい。
もし本当に橋本八段が棋界の改革、再興を図りたいというのなら、
誠意ある対応が望まれることは必須だが、心中はいかほどなのだろう。

 
ぼくらは地方で幸せを見つける
指出一正

出版社:ポプラ新書
発売日:2016/12/09

私には折に触れ、夜通し語り合う友人がいる。
友人といっても私の倍以上の年齢。また、互いに地方に居を構えている。
以前は近場に暮らしていたこともあって、その頃は原稿書きの締切そっちのけで話しに花が咲いた。
その友人との話しのテーマにたびたび上がるのが“生身”という感覚についてのこと。
ネットやスマホの普及により、生身を体感せずともコミュニケーションがとれる時代。
だが人は、どこかでその暖かみや冷酷さを求めているのではないか?
雑誌『ソトコト』の現編集長が語る地域論。
地方活性化のキーポイントとして上げられる「人」。
しかし世代も違えば生まれ育った環境も違う者同士が、
同じ時代にひとつの地域の中でどう関係性を構築すればよいのか。
本書には全国さまざまな地域に移住し、その地域を再興させた若者たちの例が豊富だ。
その底流にゆるやかにただようある種の傾向は、
自然やモノ、あるいは人と人との“生身”の関係性に他ならない。
「関係人口」という概念が語るのは、そうした生身の関係性の中に新たなる価値を見出し、
それを発展・展開させていく地域再生の方向なのだろう。
私自身も地方、殊インフラの利便性も決していいとは言えないところに住んでいるが、
実際自らの周りで本書にある様な若者の例を聞くことはほぼない。
故に一握りの成功例といってもいいのかもしれない。
ただ、そう言い切って切り捨てるのは愚かだ。
価値観は変わる。
この先、それがどういう方向性にシフトしたとしても揺るぐことのない生身の感覚こそが、
地方活性の新たなカギとなるはずだ。

 
ホンのひととき
中江有里

出版社:毎日新聞社
発売日:2014/09/05

著者の中江さんは本当に本が好きなんだな、と静かに思う。
大の読書家で知られる女優・中江有里さんのエッセイ。
本書はエッセイ・読書日記・書評という三部構成になっているが、
どこから読んでも中江さんの本に対する真摯で愛情あふれる姿が垣間見れます。
ヒトがヒトをつなぐように、本も本をつなぐ。
いろんなものにその道々の“ジャンル”というものが存在するが、
そうした垣根を越えた緩やかなつながりを愉しむという味わい方も確かに存在する。
「私はこのジャンルに明るいから」だとか
「ソッチの方はあんまり得手じゃないんだよね」だとか、
そうしたことはお構いなしに、
「もっと読んでみたい!」という魂の震えのような読書愛を追体験できるあたり、
やはりこの人のエッセイは巧いと唸ってしまう。
数々の本との出会い。
巻末に掲載書籍の一覧が付されていますが、
それを眺めるだけでも豊かな読書経験が窺えます。
そんな中江さんが本文の中で語ってるこの言葉はとても大切だと思う。
「同じ本を何度も繰り返し読むこともお勧めします。同じ本ならいくら読んでも内容は変わりません。
だからこそ、読み手である自分の変化に敏感になるのです。」
これぞ読書の醍醐味。

 
真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話
佐々木閑・大栗博司

出版社:幻冬舎新書
発売日:2016/11/30

個人的に、この本を紹介しようかどうか迷った。
ことあるごとに書いているが、私の学生時代の専攻はインド哲学。
カリキュラムにはもちろん仏教学も含まれていた。
その一方で興味本位で暇さえあれば面白がって取り組んでいたのは宇宙物理や数学だった。
正直、そんな人間にこの本のことを書かせれば、自制が効かなくなること必須である。
実際問題、そのくらい興味深く面白い本だ。
一人は世界的な理論物理学者。一人は仏教学者のユニークな泰斗。
一見相反する立場にある学者同士によるこの対話篇は、
時に枝道にそれ、時に互いの考えを確かめ合いながら、
「生きる事の意味」という人類普遍の問題に切り込んでいく。
結論を言えば「意味はない」。帯にも書いてある。
だが本書の凄いところはそこにとどまることなく、
むしろそこからが新たなスタートであると言わんばかりの論点を見せる。
ネタバレにもなってしまうので詳しくは読んでいただくしかないのだが、
仏教と物理との関連を説く書籍は巷にゴロゴロあるが、
これほど痛快なものには久しぶり出会った気がした。
そもそもこれn……(長くなるので以下略
それはさておき、
佐々木先生のこうした研究に対しては同学の学者からの批判が多いことも確かだ。
しかし、それを一種のアウトリーチと捉えるならば、
他分野との垣根を越えた新たな学術研究の進展につながることを期待してやまない。

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