本の話し

2016年11月の本


あたらしい書斎
いしたにまさき

副題にある「忙しい人に必要な“自分空間”の作り方」という言葉は、
PCやネットが普及した現代だからこそ必要な言葉だ。
“書斎”というと、なにやら豪邸の一室に壁一面のガラス戸の本棚を構え、
高級感漂う木目調の美しい大型の机がドンと置かれて…
などとミステリードラマなんかに出てくるイメージをそのまま踏襲してしまうのだが、
なに、要はあくまで「本を読んで学んだり、書き物をしたりするための場所」であることに違いはない。
ただ、「自分が自分らしいことをするための場所として空間が切り取られていること」がポイントである。
本書では様々な書斎の達人たちとの対話を通し、
現代において、いかに自分と向き合える空間を確保するか、
そのための機能性や自分らしさをどう出していくのかということについて語られる。
特に目を惹くのは、探検家・松浦武四郎の「一畳敷」というたった一畳の書斎に着想を得て、
一畳というスペースをいかに書斎として活用するのかについて提案がなされている部分である。
そこからは、デジタルツールやネット環境に囲まれた現代の知的生活の舞台が、
個人から世界にどのように開かれるべきかということにも言及されている。
それは、本以外にもさまざまに読むべきもの目に触れるものが溢れかえった
現代人の知的生産の現場を問い直す意味で、非常に大きな意味を持つものと思う。


father
金川晋吾

表紙にはボンヤリと宙に目を泳がせながらタバコを吹かす初老の男性。
本書の帯には手書きの文字でこうある。
「やっぱり生きていくのが面倒くさい」
この初老の男性=fatherの言葉なのだろうか?
そのfather=父は失踪を繰り返す。
その息子は、そんな父の姿を撮り続ける。
これは、異様な写真集である。
この異様さは一体何なのか?
失踪、多額の借金、無断欠勤…。
この「なぜ?」に対する回答は「ただなんとなく」「嫌になった」
中盤に挿入されている日記からは、
ただただつかみどころのないそれらの背景が、
フィクションではなく現実であることを突きつけてくる。
しかし、リアリティのようなものもない。
なにより、何も起こらない。
一個人の人生、その家族の生活、
社会という集合体全体から見れば最小単位ともいえるその中で、
被写体と撮影者という関係から浮かび上がる親子の対話。
その端々に立ち現われる心の機微は、
現代社会へ大きな問いを投げかけているのかもしれない。


〆切本
夏目漱石 他多数

「かんにんしてくれ給へ。どうしても書けないんだ……」
夏目漱石や江戸川乱歩から村上春樹や西加奈子、
長谷川町子や岡崎京子といった漫画家まで、
延べ九十余人の著作者による壮絶なる“悶絶と歓喜”の〆切話。
中には「勉強意図と締め切りまでの時間的距離感が勉強時間の予測に及ぼす影響」などという学術論文まである。
発売直後から話題沸騰の本書。
何ページにも渡る言い訳。
「そんなもん書いてる暇があればモノを書けよ!」
と思わずツッコミたくなるが、それは無粋というもの。
私も元は末端を汚す程度でしたが同業者だったので、分かりますとも、ええ。
書けないものは、書けないんです。
ちなみに私の持論の一つですが、
「書きたくないものを書くのは不健康」
本書はそのことを立派に証明してくれています。


謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉
高野秀行

納豆は日本の伝統食と考えている人も多いように思える。
だが実際はどうか?
世界の辺境を取材し続ける著者は、
中国にその源流を求め、アジアの山岳地帯を訪ね歩き、
納豆をソウルフードにしている民族が少なくないことを明らかにした。
私の記憶では、十数年前にとあるテレビ番組の一部でこの内容を扱っていたのを見た覚えがあるが、
その時はさして話題にも上がらなかった。
だが本書は違う。
納豆のそれを海外に求めるにとどまらず、
日本国内にも目を向けて精力的な取材をしている。
そしてそこから浮かび上がる日本の納豆の歴史とは!?
メディアの在り方という観点からも大変興味深い一冊です。

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